城南散歩(新着記事) [城南散歩に戻る]
[220] 杉野学園(衣装博物館).....(品川区の名所)


ホームページ

■東京都品川区上大崎4−6−19
■JR目黒駅から徒歩6分
■03−3491−8151
■開館10:00〜16:00
■内容 昭和32年に開館、学園の創設者・故杉野夫妻が収集した古今東西の時代衣装や関連資料、洋装の歴史


[219] レモンの碑(ゼームス坂病院跡地).....(品川区の名所)


品川区南品川6-7
■京浜急行 青物横丁駅下車10分
■ゼームス坂の途中にあった「ゼームス坂病院」は、詩集『智恵子抄』で有名な高村光太郎の妻、智恵子の終焉(しゅうえん)の地である。
 高村光太郎は、彫刻家高村光雲の長男として東京で生まれ、彫刻家・詩人として活躍した。その妻智恵子は、福島県二本松の裕福な造り酒屋に生まれ、日本女子大学を卒業後、絵画を学ぶうち光太郎と知り合い、大正3年(1914)に結婚した。 智恵子は、そのころには珍しく社会的自立を目指す女性で、絵画の創作を単なる趣味ではなく、経済的自立の手段と考えていた。しかし、結婚後は、思うように絵が描けず、また、父の死や実家の没落も打撃となって、智恵子は次第に精神を病むようになる。光太郎は仕事を減らして看病に専念したが、病状は、すすむ一方で、昭和10年(1935)にはゼームス坂病院に入院した。 この病院で智恵子は、今まで抑(おさ)えられていた創作意欲をはきだすかのように切り絵に没頭し、一千点もの作品を残す。しかし、遂(つい)に退院できぬまま、3年後に生涯を終えた。 ゼームス坂病院は、戦後まもなく取り壊されてしまったが、その跡地の一角に、記念碑「レモン哀歌の碑」が建てられている。
1938年智恵子が死ぬ数時間前にレモンを口に含んだときの様子が光太郎の詩「レモン哀歌」に見事に描かれている。この日10月5日は「レモンの日」と名づけられている。
■詩集「智恵子抄」より=レモン哀歌=
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で 
私の手からとつた一つのレモンを 
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ 
トパアズいろの香気が立つ 
その数滴の天のものなるレモンの汁は 
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

[218] 六郷神社.....(大田区の名所)


■大田区東六郷3-10-18
■03-3731-2889
■京浜急行 六郷土手・雑色駅下車10分
■社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と 伝えられます

[217] 大井蔵王権現神社 (福禄寿).....(荏原七福神)


品川区大井1-14-8
■03-3771-5288
■大井町から歩いて5分、立会道路に面している。七福神の無料地図
■福禄寿=財宝と人望と出世をもたらす神
■江戸時代、江戸の町に火事や疫病が流行ったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗のおかげで無事だった。その後、人々は天狗に感謝して権現神社のお祭りには太鼓を叩いたり、天狗を祀った神輿をかついだりしてきました。今ある、「大井権現太鼓」の発祥はその時の名残です。

[216] 不動院・東光寺 (毘沙門天).....(荏原七福神)


品川区二葉1-14-16
■03-3784-1613
■門を入った右側にはお堂の中に御賽銭を払って用を足さなければならない厳かな便所がある。
■毘沙門天=開運厄除けと財宝をもたらす神
■当寺の開山は天文十三年(1534年)什仙上人により創造されました。参道の中程に「下の病気」にならぬよう東司(トイレ)の守護の鳥瑟沙摩(うすさま)大明王が祀られています。東光寺は荏原七福神の一つ
毘沙門天が祭られています

[215] 養玉院・如来寺 (布袋尊).....(荏原七福神)


品川区西大井5-22-25
■03-3771-4816
■本殿右に七福神への坂道が続く。正面お堂には大井の大仏といわれた5体の大仏様が鎮座する。
■布袋尊=寛容で福寿、財宝をもたらす神
■如来寺は、気喰但唱が高輪に創立したお寺で、
但唱の発起によって造立された五智如来が安置されているところから、俗に高輪の大沸と呼ばれ、後に現在地に移転しました。養玉院は、上野寛永寺の塔頭三妙院がその前身で開山として天海を迎えていますが、寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。後に下谷坂本に移り養玉院と改め、対馬の領主宗家の菩薩寺となりました。その後如来寺と合併し現在の場所に移りました。


[214] 上神明天祖神社(弁財天).....(荏原七福神)


品川区二葉4-4-12
■03-3782-1711
■本殿右に七福神のお堂がある。この弁天社には白蛇伝説の由来がある。
■弁財天=愛情と智慧を授け富貴開運をもたらす神
■江戸時代(正保年間西厂1644年)頃にはすでに上、下神明に分かれていたとの史実に基き、昭和五十八年に鎮座340年祭、平成五年には350年祭が執り行われ、来る平成十五年には鎮座360年奉祝大祭の記念行事が行われる予定である。


[213] 法蓮寺(恵比寿).....(荏原七福神)


品川区旗の台3-6-18
■03-3781-4011
■門を入って左側に小さな「恵比寿」様のお堂がある。荏原町駅前には公衆便所あり。
■恵比寿=清廉で商売繁盛・福徳をもたらす神
■開山は鎌倉時代中期、日本が蒙古来襲の脅威にさらされていた文永年間(一二六四−七五)のことと伝えられ、八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったという言い伝えがある。

[212] 摩耶寺(寿老人).....(荏原七福神)


品川区荏原7-6-9
■03-3785-5576
■毎年、正月には甘酒が配られ休憩所がある。
■寿老人=延命・長寿と福徳をもたらす神
■同寺は山号を仏母山といい、寛文年間(1661-1673)の開山で、釈迦の生母・摩耶夫人像を祀る摩耶堂がある

[211] 小山八幡神社(大国天).....(荏原七福神)


品川区荏原7-5-14
■03-3783-0455
■階段を上った神社の左に七福神のお堂がある。
■大国天=福徳円満で財宝をもたらし、大願成就の神
■創立年月は不詳。社伝に鎌倉幕府の頃とある。口伝では長元三年(1030年)には旧小山村本村の氏神として崇敬されたという。小山の名の通り、区内随一の高台(標高35m)にて遠望良好、品川百景に選ばれている。


[直接移動] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29]

- Joyful Note -Edit : kumo