写真のタイトルボタンをクリックすると古い写真が拡大します。

八ッ山橋は明治5年鉄道敷設の際(新橋−横浜間)掘削した上に架けられた、歴史ある古い橋である。 右は御殿山、橋を渡れば品川宿の入口、広重の五十三次の絵からは想像もつかない。
 品川区北品川1丁目


宿場入口は、京浜急行や五反田方面の道路拡張などで、様変わりしている。 東海道は日本橋から国道15号線上と見る影も無いが、この旧東海道の入口から初めて旅人気分になれる。
 品川区北品川1丁目


江戸時代から続いた品川宿で名高い貸し座敷、昔は海辺よりの部屋が土蔵造りだったので土蔵相模と呼ばれた。 その後、さがみホテルとなり現在ではファミリーマートに生まれ変わった。
 品川区北品川1−22


旧東海道からすぐの横丁、虚空蔵尊の参道にあった、子供たちに人気の駄菓子屋さんは飲食店に変わってしまった。 正面に見えるのは虚空蔵尊養願寺。(東海七福神
 品川区北品川2−3


2002年8月黄金湯が廃業してしまったため、この道の右レンガ塀は無くなってしまった。昔の面影が残る懐かしい道だったのに残念です。 (左の煉瓦塀は正徳寺)
 品川区北品川2−10


北馬場通り(新馬場商店街)の上を走る京浜急行の姿は無く、写真では道路を横切っている線路が見え、歩道もなく現在より道が広くみえる
 品川神社高台より見る


品川宿はお祭りが盛んだ。神輿が出る前も、笛や太鼓の音で心が躍る。 国道を走る車も遠慮がちの人間優先の時代でした。
   品川神社前(第一京浜)


「昔の品川宿2」へ

写真資料提供について

昔の品川宿を残しておきたい。自分達の子どもにも、この町を訪ねてくる人達にも伝えていきたい。
そんな想いで、このページを開設するに当たり、貴重な写真をお借りし、
掲載することをお許し頂いた「セピア色の品川実行委員会」に対し心より感謝申し上げます。

(写真の商用複製に関しては旧東海道まちづくり協議会までご連絡下さい。
セピア色の品川実行委員会 代表 佐藤 高 氏に報告させて頂きます。)