![]()  | 52.水口宿〜石部宿へ(街道地図) | 
| 滋賀県甲賀郡水口町→水口城→北脇縄手→横田の渡し→弘法杉→(13km:3時間) | 
■ 水口宿について ■(2000年5月2日)曇![]()  
ゴールデンウィークの真っ只中に最後の我が儘を決行することにした。
家族の冷たい視線を背に受け、ここ2・3日、旅人は寡黙になっていた。・・・
出発の朝5時、目覚めるとテーブルの上にそっとオニギリが置いてあった。
そこにはこう書かれていた。
「はぐれ雲さんへ・・・昨日、冷蔵庫から焼きちくわが誘拐されました。
ご存知ないですか?ついでにおにぎりも連れて行ってください。
・・・きまぐれおにぎりより」
・・・・妻の一筆で旅人は一気に救われた。
東海道の50番目の宿場水口宿は江戸時代、加藤氏の城下町として整備
され、宿場内は珍しい「三筋の通り」が作られた。
水口城は碧の掘の水に映る姿から別名「碧水城」と呼ばれている。
特産品は広重53次に描かれている「かんぴょう」「藤細工」「煙管」などがある。
また4月に行われる水口曳山祭は有名である。
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■ 東見附跡〜水口石橋 ■約1km・・・この区間は3/18に歩いた続きです。・・・・・![]() ![]()  
東海道を東から入ってくると東見附跡(写真左)がある。
大きな通りを越え本陣跡の家並みを曲がると三筋通り(3本の道が並列している)の
高札場跡(写真中)に出る。左に行くと真ん中の路となりアーケード
を抜け三筋通りが終わる西側合流点で水口曳山祭を模した時計のモニュメント(写真右)を見た。
ここが近江鉄道「水口石橋駅」だ。
・・・5月2日午前10時40分、再びこの駅に降り立った。
家を出てからすでに5時間以上を経過している。
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■ 水口石・水口城跡 ■約1〜2km![]() ![]()  
東海道の石橋を渡ってすぐ右手広場に広重の水口宿場絵(写真左)が掲げられていた。
宿場内は城下町特有の曲がりを繰り返し、小さな曲がり角で「水口石」(写真中)を見付ける。
(東海道に面した小坂町の曲がり角に伝えられる大石は(力石とも呼ばれる)
江戸時代から知られた有名な石で、浮世絵師国芳の錦絵にも描かれている)
街道を外れ土手を登るとグランドがあった。その脇から水口城(写真右)を見学。
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■ 北脇縄手の一本道 ■約3〜4km![]() ![]()  
宿場を抜けると街道は一直線に何処までも続いている。このあたりは
江戸時代に北脇縄手と呼ばれていた場所だ。
(縄手とは田んぼの中を貫く一本道で、北脇縄手は東海道の整備に伴い、
曲がりくねった旧伊勢大路を廃し、見通しの良い道路にした)
道端の石仏を通り過ぎ、やがて柏木地区に入る。
ここでは古い家並みや暮らしに昔の街道を垣間見る事が出来る。
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■ 泉一里塚・横田の渡し大常夜燈 ■約4〜500m![]() ![]()  
一本道を随分歩いたので一休み。11:50ここで冒頭の誘拐してきた焼きちくわを食べた。
結構美味しい。快適な季節だ。
左の小さな橋を渡り、泉一里塚(写真左)を過ぎると横田渡し(写真中)の大きな常夜燈(写真右)が見える。
横田渡跡大常夜燈=野洲川を越える横田渡しは夜間でも往来が激しく
交通安全のために大きな常夜燈を必要とした。大きさは日本一)
トイレを済ませ、
常夜燈前の道を歩き出したが、交通量が激しく
歩道も無く危険だった。
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■ 三雲駅・天保義民の碑 ■約2〜3km![]() ![]()  
横田橋の歩道は右側通行(写真左)なので遠回りすることになる。
橋を渡り国道を潜ると三雲駅(写真中)にでる。
近くの天保義民の碑を見る事にした。
遠くで犬の声がする。嫌な予感!途中で放し飼いの犬に追いかけられUターン。
困るんだなぁ〜。この公園(写真右)は民間の敷地じゃないんだから、
犬はチャンとクサリに繋いで下さい!。
天保義民の碑=幕府の過酷な検地に農民1万人以上が抗議し中止させたが捕縛された中心人物は牢内で次々と獄死した。
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■ 大沙川トンネル(天井川) ■約1〜2km![]() ![]()  
川を(写真左)越え石碑群を過ぎ草津線の踏切り
を渡ると前方に大沙川のトンネル(写真中)が見える。
トンネルを潜った左手から天井川を見られるようになっていた。
堤上には大きな弘法杉(写真右)があった。
(弘法杉=樹齢750年、樹高26m、周囲6m
元は2本の杉が並列していたが洪水のため
堤防が崩壊して1本は倒れた。
一説によれば弘法大師が、この地方を通過した時、
二本の木を植えたとも、また食事をしたあと杉箸を差しておいたのが
芽を出したとの説がある)
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■ 北島酒造・平松 ■約3〜4km![]() ![]()  
途中、夏見の一里塚を発見できなかったが、それらしき雰囲気の石碑を見かけた。
しばらく歩くと由良谷川トンネルが現れ、
その先左に1805年創業の北島酒造(写真左)の暖簾が揺れていた。
家棟川を(写真中)渡り平松地区に入って行くと赤く塗られた家(写真右)が目立つ。
この先の東海道は赤い格子の家並みが多く続いていた。
・・・13時40分、犬に追いかけられ、飯も食わずに焼きちくわ誘拐犯は、石部宿辺りを逃走中・・ (行程3時間・2000.5/2(火):万歩計=計測中)  | 
51.土山宿〜水口宿へ
 
53.石部宿〜草津宿へ
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