51.土山宿〜水口宿へ(街道地図)
滋賀県甲賀郡土山町→土山本陣→白川橋→今宿→街道をゆく(11km:4時間)

■ 土山宿について ■(2000年3月18日)晴れ
もう滋賀県ですね〜。同行の旅人はポツリと言った。 気が付か無かった・・・ この若者は国道1号のキロ表示を頼りに、 県名や地名を友として、ここまで歩いて来たのだ・・・ 強がっていたが、足は引きずっていた。 花粉症だと鼻を啜ったが、昨日の夜は寒かった・・・ 切なくて美しい情熱が街道を歩かせる・・・何故 ・・・・ 土山宿は西に向かう旅人が鈴鹿峠を越えて最初に入る宿場 で馬子唄にも「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」 と謡われているように雨が多い所である。 広重の絵「土山春之雨」には 雨の降り続く田村神社の木立の間を合羽の行列が 濡れそぼり、うな垂れ歩く情景が描かれている

■ 宿場入口〜中心 ■約1〜2km
道の駅の裏から街道は始まった。のどかなゆったりとした街道だ。 古い家が多く、玄関に下がっている木札には昔の屋号(写真中)が書かれていた。 無理をせず、街道に溶け込むように暮らしている家並みだ。 左に土山宿の石碑と上島鬼貫の句碑が出迎える。 その先、白川神社を通り過ぎると宿場は中心となり 旅篭跡の石碑や虫籠窓の旧家が多くなる。 ・・突然で恐縮だが土山の名物は土山茶とお六櫛である。

■ 民芸・茶房・うかい屋 ■約1〜200m
宿場の真ん中に商家造りの民芸・茶房うかい屋がある。ここの御主人は 「土山の町並みを愛する会」で活躍されている東海道を愛する人物で、 「品川宿まちづくり協議会」とも 親交が深く、いつも銭湯帰りに眺めていた 品川宿本陣にある街道松は土山宿からの寄贈だった。 ・・・玄関までお送りしてくれた御主人の心遣いに 感謝の宣伝(コーヒー350円は良心的、食事OK、お六櫛等の民芸品有り、東海道の資料も充実) ・・街道をゆく・・

■ 土山宿本陣 ■約1〜2km
問屋場跡の先に土山宿本陣(写真左)が現存している。 (明治天皇行幸の際、この本陣で誕生日を迎え、 第一回天長節が行われた。記念に土山の住民に対し神酒を下賜した) 左手前方に「あいの土山宿お休処」の公民館。 宿場西出口に稲荷の赤鳥居が立ち並ぶ、そこに大黒屋本陣跡(写真中) しばらく歩くと国道に合流した。本来は国道(写真右)の向こうへ東海道は続いて いるらしいのだが、道が途切れているらしい。

■ 白川橋・垂水斎王頓宮跡 ■約2〜3km
しばし国道を歩くと白川橋に至る。右側歩行道(写真左)から野洲川を覗いてみた。 清流の色が良い。右茶畑に垂水斎王頓宮跡(写真中)の碑があった。 (斎王とは天皇が即位するたびに伊勢神宮に天皇の名代として 奉仕する皇女のことで、頓宮は斎王専用の宿泊施設) ここから国道を横断し再び旧道に入る。瀧樹神社の碑慈安寺と過ぎて 小川を渡る。松並木(写真右)で小休止する。ここは大日川掘割跡(反野畷)だ。

■ 今宿・土山一里塚 ■約3〜4km
土山宿から随分歩いてきたが旅篭跡の碑が多い、 立派な構えの旧家もあるので間の宿かも知れない。三軒家、徳原という 地名だ。東海道は国道を(写真左)横断し、片山、今宿(写真中)の静かな住宅街を抜けていく。 穏やかな陽射しを浴びながら20分も歩くと 再び国道と合流した。信号を渡った場所に土山一里塚(写真右) ここでも一休み。煙草が美味い。 県道右斜め前方の街道らしい上り坂を行く。今郷を抜けると先程の県道と接する。

■ 街道をゆく ■約3〜4km
そこに司馬遼太郎の「街道をゆく」の碑がある。 旧道はやがて岩上橋の県道に合流し先の交差路から右に伸びていく。 ここから水口宿まであと一息だ。健康ドリンクで乾杯! (左手が腰にあったかどうかは意識して無いので分からない) この先二又の道を間違えたが、 「お〜い!東海道は右だよ!」と親切なオジさんが教えてくれた。 若者の寝袋姿に救われたようだ。 夕暮れの街を静かに歩き、やがて水口石橋駅に16:30到着した。 ・・7時間も付き合ってくれた若者よ!あなたに出会えた事に感謝する。東海道に感謝する。・・そして道中の無事を祈っています。
・・・16時57分、旅人は振り向く事が出来ないまま東海道の仲間に別れを告げた・・ (行程4時間(計7時間)・2000.3/18(土):万歩計=28875)

旅人:浮浪雲
50.坂下宿〜土山宿 52.水口宿〜石部宿