36.吉田宿〜御油宿へ(街道地図)
愛知県豊橋市→吉田城→下地家並→高橋→小坂井駅(7km:2.5時間)→国府(4km:1時間)

■ 吉田宿について ■(1999年12月18日)晴
東京には明るいうちに帰りたい。 正月に故郷へ帰省する人のように夜汽車で朝日が出る頃に帰りたい。 せっかく家に帰ったのに家族が寝ている夜中じゃ切ない、 そんな雰囲気を味わいたくないのだ。俺はおもいっきり淋しがり屋なのだ。 吉田宿は新幹線の止まる現在の豊橋市である。 古くは豊川に架けられた橋の名から今橋と言い、 池田輝政が城主となった1600年頃、今橋は 縁起のよい「吉」という字を取り入れ吉田に変えた。 宿場は豊川が流れ吉田城を有する城下町で 東海道の中でも大きな宿場の一つ「吉田通れば二階から招く、 しかも鹿の子の振り袖が・・」と唄われ飯盛女の 多かったことでも知られていた。

■ 市街地に入る ■約1〜2km
瓦町の交差点角に寿泉禅寺の大きな石門がそびえ立っていた。 門前には延命地蔵の石碑がある。 信号を渡り吉田城に向かう途中、豊橋の風呂屋を見つけた。 市街地に銭湯があるのが嬉しい。 そうだ!今日は早く帰って天神湯に入ろう。予定の吉田宿まで歩いたし、 昼近くになったら近くの駅から切り上げる。 俺ってなんて几帳面で計画的なんだと改めて感心した。 (どんな部下でも1つ良い所があれば誉めることをモットーとしている)

■ 豊橋市・吉田城 ■約5〜600m
路面電車が走る吉田宿に着いた。道の先には豊橋公園がある。 公園は広く、ジョキングコース・テニスコート・野球場・カラス多し、 芝生を囲った広場の角に吉田城の鉄櫓(くろがねやぐら)があった。 門の前にはホームレスが家財道具(ゴミ袋5つ)にまみれて 寝ている。門番の雰囲気があり遠巻きに写真を撮る。 (江戸期池田輝政が吉田城主となり城の改築をしている。 その後、輝政は姫路に転封し世界遺産の姫路城を築城した。 故に姫路城と吉田城の作り方は似ている)

■ 吉田宿本陣〜湊町公園・豊橋 ■約1〜2km
細長い神明公園まで歩いて来たが東海道に復帰できない。 体操着姿のガヤガヤ中学生グループに尋ねてみた。 一瞬、緊張の沈黙?、どうやら関東言葉にたじろいでいるようだ。 「松葉公園への道ならこの商店街じゃなくて一本先の大きな通りです」 言われた通りうなぎ屋さんの店先に吉田宿本陣跡があった。 松葉公園を左に見て右折する。そのまま真っ直ぐ何処までも行くと 河原に出た。あの橋が豊川に架る豊橋だ。

■ 聖眼寺〜下地の家並み ■約1〜2km
豊橋を渡ってすぐ左の街道を歩く。右に松葉塚(写真左)のある聖眼寺 (松葉塚=ごを焼て手拭あぶる寒さ哉(ご=松の枯れ葉)の松尾芭蕉の句碑がある) 道は狭くなり下地旧家古い家並み(写真中)が姿をみせてくる。 この戦災を免れた区間(写真右)を過ぎると広い道となる。 ふと左に、関西の地に何故か「横須賀ストーリー」という名の気になるレストランがあった。 昼前だけど入ってさっそくジャワカレー、帰って地図を見ていたら、 この辺りの地名が横須賀町だったことが判った。

■ 魚市場・高橋・菟足神社 ■約2〜3km
鹿菅橋を渡り、保冷トラックが目立つようになると 前方には魚市場の施設が立ち並ぶ。 ここを過ぎて高橋を渡ろうとしたが橋は長く歩道は無い(写真中)。 しかも車の通行は激しい、ちょっとの危険どころではなかった。 天竜川の緊張を思い出す。 お陰で「子だが橋の碑」を見逃してしまった。 (「子だが橋」=菟足神社には人身御供の風習があり、 祭の日この街道を最初に通った若い女を生贄として捧げていた。 その生贄を捕まえる人の娘が最初に通ってしまった。「我が子だが仕方なし」と涙をのんで生贄 にしたという) 国道を横切ってその菟足(うたり)神社(写真右)を見た。

■ 小坂井・飯田線の無人駅 ■約100m
もぉ帰ろうと、街道に一番近い駅に見当をつけていた。 踏切り手前を左折して小坂井駅(写真右)に12時到着。うっ、駅はお昼休みだった。 切符を買う場所がベニヤで塞がれていた。もしかして廃止駅? 慌てて近くの人に聞いてみた。 どうやら電車が来たら改札のチェーンを自分で勝手に外し乗車してから、車内で切符を買うようだ。 やっと安心した。何て自由なんだ!。所変れば品変る。だから旅はたのしい! ・・・16:00:江戸に戻った旅人は銭湯へ行くため東海道(北品川商店街)を執念深く歩いていた。・・・ (行程2.5時間(計4時間)・1999.12/18(土):万歩計=20939)

■ 伊奈村立場茶屋跡〜国府 ■(2000年1月8日)曇約4〜5km
正月気分も冷め切らぬ中、前回の三河万歳の発祥の地、小坂井駅を8:45出発する。 静かな商店街の小さな交差点を過ぎ、ごく普通の住宅街をしばらく歩いていると左の駐車場角に伊奈村立場茶屋跡(写真左) があった。 (解説スペース節約のため原文を御読みください→ 解説原文:28k写真 その先、山本太鼓店の前に伊奈一里塚跡(写真中)9:15、すぐに村社速須佐之男神社、そして幾つかの橋を越えると国道と合流し、再び左の旧道(写真右)に入って行く。( 10:00)

旅人:浮浪雲
35.二川宿〜吉田宿 37.御油宿〜赤坂宿