18.由比宿〜興津宿へ(街道地図)
静岡県庵原郡由比町→由比本陣→寺尾→西倉沢→薩垂峠→中道(9km:3時間)

■ 由比宿について ■(1999年9月23日)曇
台風18号が九州に上陸したらしい。風雨を予想してツーリング用雨具を準備したが リュックが少し重い。今日は祝日のせいか品川7時26分発の東海1号は前回より人が多いようだ。 今にも泣きだしそうな空の下、9時30分、蒲原駅前から歩き出した。 ・・・ 東海道五十三次16番目の宿場町、今でも古い家並みが残る風情ある宿場である。 また海と山に囲まれた温暖な気候の土地は海産物の桜えびを生み出した。 薩垂峠からは眼下の駿河湾と遥かに富士山を望める。 注:文中で使用している「薩垂峠」の「垂」は正確には左に「土へん」が付きます

■ 旧道へ ■約1〜2km
駅前を左に行く。しばらくすると高速道路を潜り二又の交差点(写真左)を左の旧道に入る。 小さな橋を渡り右手に清酒「正雪」のエントツが見えた。その先は由比宿の東桝型跡(写真中)だ (宿場の出入口は桝型(かぎの手)に折れ曲げ、木戸が作られ万一の攻撃を 防ぐために造られた) 宿場に入り右手にある普通の民家のような塀は「お七里役所之跡」(写真右) (紀州家が七里ごとに独自に設けた連絡所)

■ 由比宿本陣公園 ■約500m
歩いて2−3分、右前方に江戸時代の建物が見えてきた。由比宿本陣公園(写真左)だ (本陣跡を整備復元したもので、正門、物見櫓等が復元され、明治天皇が小休止された離れが「御幸亭」となった。 また公園の一角には「東海道広重美術館」があって広重版画ファンが訪れている。) 目の前は正雪紺屋(写真中) (1651年幕府転覆を謀った首謀者由比正雪の生家と伝えられた染物屋) 隣には黒い塀(写真右)の中に明治時代の郵便局の建物があった。

■ 寄り道・おもしろ宿場館 ■約100m
左に弥次・喜多の人形が出迎える 「おもしろ宿場館」(土産・由比宿再現・正雪資料)があった。 ポツリ、ポツリと雨が降る。もうすぐ10時、雨宿りをかねて桜えびを食べようと中のレストランを 覗いたら、まだオープン前だった。 宿場館の人(留め女?)が出てきて、すぐ開けるからここで待っていろと言う。 表に出てウロウロしていると、東海道の真ん中で「お客さ〜ん!ど〜ぞぉ!」の大声。 慌てて入る。「桜えび御膳」1500円は、その名の通り、桜エビ尽くし料理だったが 脇役のタクワンも美味かった。 この2Fレストラン「海の庭」の窓からはコバルト色(日替り)の駿河湾を一望できる、おまけが付いている。

■ 今宿・旧道への道 ■約1〜2km
飯を食ったので薩垂峠越えの準備はできた。後は倉沢で水分補給を忘れないようにしておこう。 由比川を渡っていると橋の途中に垂れ幕!?(写真左)この橋はもうすぐ無くなるのか・・・ 街道を歩き(写真中)今宿に入る。由比駅手前で右手上の県道へ階段を登って行く、 歩道の無い県道から駿河湾を眺めた、その先に 横断歩道橋(写真右)があり、脇道を入る、これが旧東海道だ。

■ 寺尾から東倉沢 ■約1km
寺尾地区に入ると古い家並みが残る。歩いて良かったと想う一時である。 ゆるい登り坂の途中に懐かしい木造家屋(写真左)を見つけた。 年月が色を変えてしまった・・・幼い頃に見た街は真新しい夕焼け色だったのだ・・ 道端に珍しい時計台(寄贈品らしい)(写真中)があった。 古い建造物をいつまでも残せる街であってほしい。東海道あかり博物館前をすぎ 東倉沢地区に入る。昔の道幅が街道らしい(写真右)雰囲気を出し、旅人は嬉しくなった。

■ 西倉沢・望嶽亭 ■約2km
西倉沢地区に入り、間の宿本陣跡をすぎると目の前は薩垂峠へ登る(写真左)急な坂が見えてきた。 そこに望嶽亭(写真中)がある。写真を撮っていたら、やさしそうなお母さんが家の中を見せてくれた。 (幕末、官軍に追われた山岡鉄舟が望嶽亭に逃げ込み、事情を聞いた 主人が奥座敷の海へ出る隠し階段から船で 清水の次郎長の元へ逃がした。その時の御礼にピストル(写真右)を置いて行ったという) 自分も案内の御礼に現金を置いて行こうとしたら 「私達は何もしていません。先祖が残してくれたものですから」 と固辞。その心意気に御主人直筆の手拭いを購入。・・・松永さん昔をありがとう・・・

■ 薩垂峠・中継地点 ■約1〜2km
急な登り道は短く、あとはダラダラとした緩いコンクリート(写真左)の坂道だった。 途中に広重の富士を眺める(写真中)ポイントを探したが、富士山は今日も見えなかった。 箱根峠を想像していたが、実際は、みかん山の細い農道で、 すぐに薩垂地蔵道標(写真右)のある駐車場に着いてしまった。 強がって見たものの倉沢で水分補給をしなかったので、喉が乾いて仕方が無い。 そー言えば、あの辺りで自動販売機を見かけなかったなぁ? 落ちている緑のみかんは硬かった。

■ 峠の休憩所 ■約500m
駐車場脇の小さな階段を降りると細い崖道になっていた。 木で造られた展望台から広重名画と同じアングルで写真を撮る。 富士山の姿は無いが駿河湾は雄大だ。 あぁ〜水飲みたい!さっきの駐車場にはトイレ設備しか無かったし・・・ あっ!手を洗うから水道くらいはあるハズだ。 でも戻りたくない。ナンテ考えていると視界が開けた場所に涼しい風が通る休憩ポイント があった。 目の前に駿河湾が眺望できる景色の良い所であった。

■ 頂上中道から興津へ ■約1〜2km
少し休んで緩い坂を登ると、ついに薩垂峠の頂上(薩垂峠石標)(写真左)に出た。 ここから興津へ下るのだ。道は分かれる(写真中)が中道を行く、上の道は行き止まりらしい。 100mも歩かないうちに変な道に遭遇。20mくらいの穴みたいな道(写真右)を通ると 墓地の中に出る。(薩垂峠石標から墓地まではホンの僅かの距離である)
・・・正午すぎ:墓地を抜けた旅人は造成地の泥濘の中で悪戦苦闘していた。 (全行程3時間・1999.9/23(木)秋分の日 :万歩計=継続中)

旅人:浮浪雲
17.蒲原宿〜由比宿 19.興津宿〜江尻宿