20.大沢宿〜今市宿へ(街道地図) |
栃木県今市市大沢町・王子神社→水無一里塚→来迎寺→並木ホテル→追分地蔵(9km:2.5時間) |
■ 大沢宿について ■(2002年12月29日 am09:40〜)晴約4〜500m(09:50) ・・・このまま進めば午後には日光に着いてしまう・・、 この季節、東照宮の眠り猫もきっとコタツの中に違いない。 春の日溜まりで街道の夢を果そうと、今回の旅を今市宿までと心に決めた。 ・・・歩道橋手前の右路地を入ると境内の大銀杏に圧倒された王子神社がある。 ・・・ 大沢宿の規模は人口278人(男125人、女153人)総戸数43軒(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒)。 地名の由来は、鎌倉時代、源頼朝がこの地を訪れ、家来に開墾居住させた。 頼朝の御恩を地名にし「御恩沢村」としたが「恩沢村」から「大沢村」となった。 ・・・ |
■ 杉並木街道・八坂神社・古杉 ■約2〜300m(10:00) 杉並木を入ってすぐ右に小さな鳥居の八坂神社がある。大きな杉が続く左遊歩道を行く。 (メモ:日光杉並木は、日光街道(16.52km)、例幣使街道(13.17km)、会津西街道(5.72km) の3街道を 合わせた全長35.41Kmの両側に約13,000本の杉が続く世界一長い並木道でギネスブックに掲載、 この杉は徳川家康のために忠臣松平正綱が20余年の歳月をかけて東照宮に寄進したもの) |
■ 大沢御殿跡・水無一里塚・地蔵堂 ■約1km(10:15) 少し歩くと右並木に大沢御殿跡の案内板があった。(徳川家光の日光参詣のための休憩所として1627年築かれた、明治維新後は番守安西氏が居住して材木置場として利用した) 街道では飛脚が走ってる。ここから5分程で水無一里塚、(通称:大沢の一里塚、江戸から32番目の塚で杉が植えられている) 遊歩道が途切れた角に地蔵堂が供養塔数基とともに祀られている。 |
■ 旧水無村〜杉並木入口 ■約2km(10:40) 水無を歩いていたら狭い歩道に迫出した民家の屋根が頭にぶつかりそうだった。 すぐに静かな遊歩道に入り、シドミ原と呼ばれている長閑な景色を横にしばらく歩く。 遊歩道は一旦車道に出て前方の旧街道らしい杉並木へと続いた。 (メモ:旧水無村=地名由来は1.水利が悪く畑地であった、2.名主の庭にある古木から水分の多い梨がなり「水梨」と呼んでいた。の二説がある) |
■ 下森友の杉並木〜旧森友村 ■約1km(10:50) この杉並木は保護地域に指定され、昔の街道幅を残しているようだ。 ・・今...何百年も生きている老巨木に囲まれているっ!!!..。 人っ子一人通らない昔道に・・巨大杉の神々しさがプラスして・・・俺・こーゆーの怖い・・・ それでも宇都宮から徐々に自然の並木に鍛えられてきたので急ぎ足だけど写真も撮れるのだ。 もぉそろそろ中山道は平気かも?・・。 救いの光りを浴びて旧森友村に脱出した。 |
■ 公民館(旧森友村)・来迎寺・夜燈道標 ■約500m(11:00) 人工的な国道に何故かホッとし、左角にセブンイレブンのある信号を渡った。 歩道に面した右側にレトロな公民館がある。隣には来迎寺(1517年創基、本堂に阿弥陀如来)、 少し先の民家のフェンス塀の中に夜燈道標が置かれていた。 (メモ:森友の地名は源義経の家来・森 高哉がこの地を多くの仲間と開墾した。「開墾を共にし友をつくる」の意味から名前がついた) |
■ 日光杉並木街道・七本桜一里塚(並木ホテル) ■約2km(11:30) 信号を越すと本格的な日光杉並木に入る。遊歩道は無いが 、よく見ると車道は一方通行で余裕があり右側を歩ける。 入口から10分以上歩いた左側の柵内に桜杉があった。(杉の割れ目に山桜が寄生) ここから、5分位で右を見上げるとトトロに出てくるような不思議な杉が七本桜一里塚に立っている。 この巨大杉は大人が寝れる程、大きな空洞があるため並木ホテルと呼ばれている。 |
■ 今市市内の杉並木〜追分地蔵尊へ ■約1〜2km(12:00) 街道は国道461号の交差点を横断し(右景色)、東武日光線のガードを潜る。 国道沿いの和尚塚に「戊辰戦争の無名戦士」が弔われていた。 その先、日光杉並木街道の出口に追分地蔵が鎮座する。 (日光街道と例幣使街道の分かれ道にある大きな石の地蔵) まだ12時だが心に決めたので、もぉ帰る。 ・・12:36:・・誰〜も居ない広々としたスペーシアにコーヒーがプラスして・・・俺・こーゆーの大好き・・ (本日全行程3.5時間・2002.12/29(日):本日万歩計=20028) |
19.徳次郎宿〜大沢宿へ 21.今市宿〜鉢石宿へ |