11.野木宿〜間々田宿へ(街道地図)
栃木県下都賀郡野木町・野木神社→本陣跡→満願寺→観音堂→法音寺→大日如来坐像(7km:2時間)

■ 野木宿について ■(2002年5月3日 am9:00〜)晴
野木神社参道入口のあたりはすでに栃木県だ。 この参道を200mほど行くと本殿がある(建立は古く1600年前、歴史に登場する有名人、坂上田村麻呂、源頼朝、土井利厚、乃木希典などの信仰を集めた) 参道を覗いてみたがかなり遠そうなので行くのを止めた。右の写真は野木宿に松並木があったという説明板。 ・・・ 野木村の成立は、野木神社の周りに住居したのがはじまりで、その後、街道筋へ出て馬継ぎが開始され 新野木村が出来た。江戸時代には街道が整備され本野木・新野木を合わせて野木宿とした。 ・・・

■ 野木宿本陣跡・脇本陣 ■約500m(9:05)
穏やかな歩道を歩くと、ブロック塀の前に「野木宿の案内板」この場所が本陣跡らしい。通りを挟んだ向こう側には 脇本陣の熊倉家がある。 (日光道中宿村大概帳によると野木宿は人口527人、家数126軒、本陣1、脇本陣1、問屋場4か所、旅籠中2軒、小23軒の小さな宿場だった) ここが野木宿だったというこの案内板が無かったら、普通に通り過ぎてしまう平凡な国道の景色だ。

■ 満願寺・浄明寺〜整備された歩道 ■約5〜600m(9:10)
ゴールデンウィークのせいか、やたら車が多い。日光街道は殆どが国道4号なので騒音との戦いだ。 しかし歩道だけは整備されている。(古河〜小山間は完全に歩道を確保) 左に「満願寺」多くの地図やガイドブックには「満福寺」とあったのだが、どうしても満福には見えなかった。 すぐ先に浄明寺、人にやさしい野木宿の歩道は気持ちよい。(車道ばかりに金をかけている行政が多い中、野木町は立派だ)

■ 大平山道標・観音堂と石仏 ■約5〜600m(9:20)
道の途中に石標があった。「是より大平?」首を傾げていたら、その家の奥さんが親切に教えてくれた。 昔は、この横道を行くと渡し場があり川を渡って大平山へ行けたとの事だった。 右にカーブする手前地点に「馬頭観音」の石仏が大切にされている。 奥には観音堂があり「日光道中絵図」にも描かれている名所である。 お腹が空いたが、この時間、食堂はまだやっていない。

■ 広がる景色〜松原・友沼 ■約2km(9:45)
視界が広がった。こんな景色に遭遇すると旅をしている実感が湧いてくる。 路傍の季節も心を癒してくれた。・・ 松原の信号を越え左に大きな家(秋元家)を見る。・・黙々と歩く・・ イベントが少なく変わらぬ景色にそろそろ我儘な足は飽きてきたようだ。 さっきまであんなに誉めていたのに愚痴がでる。 日光街道は長〜い国道4号と車の音が煩いのが難点なのだ!。 やがて野木駅へ通じる友沼交差点が見えてきた。

■ 法音寺・友沼八幡神社・恩川(寄り道) ■・・約1〜2km(10:15)
役場入口の交差点を過ぎ、次の信号左角に新築の法音寺(門の左右には仁王像)、右に友沼八幡神社がある。 (日光参拝する将軍一行が古河を出て最初に休憩する場所だった) この交差点を左折して大平山道標の辺りから気になっていた思川を見学することにした。 お墓を横にしながら坂を下ると青い橋が見える。この小さな川が江戸時代、物資輸送の重要な交通路だったようだ。

■ 若宮八幡宮(大日如来坐像)〜間々田へ ■約2km(10:40)
国道4号線に復帰し、ただひたすら歩くと手にしたガイドブック地図とは、全く違う位置に 若宮八幡宮があった(周辺地図参照)、境内には大日如来坐像が大切に安置されている。 (1709年鋳造、武州江戸湯島の渡部九兵衛が施主となり父母の供養のため生国の下野国都賀郡に安置、以前は野晒しのため濡れ仏と呼ばれ親しまれていた) 光南病院を過ぎ国道の先にある間々田宿へと向かう。 ・・10:50:・・男は行楽車輌の排ガスを喰らう度に同じくらい煙草の煙を出していた。 (行程2時間・2002.5/03(金):万歩計=13054)

旅人:浮浪雲
10.古河宿〜野木宿 12.間々田宿〜小山宿