6.杉戸宿〜幸手宿へ(街道地図)
埼玉県・関口酒造→近津神社→古い家並み→恭倹舎→旧道→御成街道追分(7km:3時間)

■ 杉戸宿について ■(2002年3月21日 pm12:30〜)曇(黄砂嵐)
杉戸宿内では看板が吹き飛び、砂塵舞上がる江戸の土埃街道となってしまった。危ない状態なので 手打ちうどん・梅喜に飛び込む。ここの力うどんは絶品だ。(デザートに黄粉うどんを出してくれた) ・・・・この辺りの街道写真を後で見てみると清酒「杉戸宿」の関口酒造などは江戸時代の古写真のようだった。 ・・・ 杉戸は古くから利根川の渡しがあり、鎌倉街道、御成街道、奥州街道を有する 交通要路であった。江戸時代には日光街道の江戸から5番目の宿場町として栄えた地である。今では杉戸といえば東武動物公園で有名になっている。 ・・・

■ 杉戸宿・近津神社・本陣跡 ■約2km(13:30)
風も弱まり、うどん屋さんを後にする。喜多さんの顔面には花粉対策マスクがしっかりと装備されていた。 すぐ先の近津神社を過ぎ去ると街の中心地に「明治天皇御小休所跡」がある。信号を渡ってしばらく歩いた街道右手奥に本陣跡があった。 どうやらここら辺が杉戸宿の中心のようだ。やっぱり宿場は面白い。

■ 古い家並み・宝性院・渡辺家 ■約500m(13:45)
やがて街道は突き当たるように右に曲り、風情のある家並みが現れる。 とくに宝性院(杉戸の寺子屋があった場所で明治の学制で学校となった時期がある) の先にある渡辺廣太郎家の土蔵大迫力の光景です。 ここを歩く方は必ず観てください!(目印はこんな看板を過ぎたあたりです。)

■ 国道4号〜恭倹舎 ■約1〜2km(14:10)
杉戸宿を抜けるとお馴染みの国道4号と合流する。左手のボーリング場を過ぎると景色は畑に変わる。 ここでちょこっと寄り道をする。大島の交差点を右折した畑の中にポツンと稲荷大明神、そこに大島有隣(地元の心学者)が心学を教えていた恭倹舎がある。 来た道を戻らず裏手の田んぼ道を歩いて国道に復帰した。

■ 幸手団地入口・東武線踏切 ■約1〜2km(14:45)
幸手団地入口交差点のマクドナルドで小休止。・・・喜多さんの顔が凛々しくなってきた。相当足にきているようだ。 しかし道は続く。これが街道歩きなのだ。このために父は君を連れてきたのだ・・・・ あれっ!喜多八はフライドポテトを食べたら回復してしまった・・??・ さぁ弥次さん行きますか〜♪・・くそーっ俺の台詞だぁ・・・・ 街道は国道と別れ東武の踏切りを渡った先で視界は広がった。

■ 南公民館〜御成街道追分 ■約1km(15:05)
広がる景色も良いんだけど、今日みたいな吹き曝しの状態では却って有難迷惑なのだ。 途中、幸手南公民館にある上高野村道路元標(この先、御成街道追分付近にあった物) を通り過ぎ歩き続けると、やがて民家が建ち並び正面にゴルフネットが見えはじめる。日光街道はこの突き当たりを右折する。 この地点が左から来る御成街道との追分である。

■ 石仏群・神宮寺・東武線踏切 ■約500m(15:15)
正面の老舗・石井酒造はすでに無く、右折した路傍に石仏群が僅かに昔を残していた。 左の神宮寺(本尊は薬師如来、源頼朝が奥州征伐の折に戦勝祈願した)を見ながら進み、再び東武日光線の踏切りを渡った。(15:15-15975歩) ・・17:00・・ビジネスホテル初体験の喜多さんが風呂から上がり、気持ち良さそうに足拭きタオルを腰に巻いていた。・・・ (本日行程3時間(計5時間)・2002.3/21(木):本日万歩計=18949)

旅人:浮浪雲
5.粕壁宿〜杉戸宿 7.幸手宿〜栗橋宿