8.宮川〜伊勢へ
三重県伊勢市→筋向橋→外宮→小田橋→古市→おはらい町(9km:3.5時間)

■ 宮川・桜の渡し ■(2001年5月4日 pm13:00〜)晴
JR参宮線の向うに見える宮川橋には歩道が無く危険な予感がする。 恐る恐る歩いて見ると、反対側から援軍のように、人や自転車がやってくる。 お伊勢さんはこれでなくちゃ〜。俺の後ろから「おかげ参り」の群衆が押しかけてきたようで心強い。 (伊勢最大の川、宮川は江戸から来ても大阪から来ても 伊勢に行くには必ず渡らなければならない。 春には桜が美しく咲く堤に沿って茶屋が並び、御師の出迎え看板が林立し道中歌 も賑やかに響いた) 渡った桜並木の下に桜渡しの解説と広重の浮世絵が描かれている。

■ 筋向橋・万金丹 ■約2km(13:30)
いきなり狭い街道に家屋が建て込み、街の雰囲気が今までと少し違う。ついに伊勢に辿り着いたようだ。 昔の旅人も長旅の安堵を此処で感じたのかも知れない。 街中の道標を過ぎると街道は大きな通りに分断されるが、信号を渡り「百五銀行」目指して突き進むと 商店街の入口に欄干のみが残る筋向橋がある。ここから道は広くなり、やがて 街道左に漢方薬を売る「小西万金丹薬舗」が現れた。

■ 伊勢神宮(外宮) ■約1〜2km(14:00)
NTTのビル裏道を行くと、伊勢参りの第一関門、外宮に到着。 (外宮=正式には豊受大神宮といい。祭神の豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みを 与る産業の守護神です。 皇大神宮(内宮)鎮座より遅れること481年、 豊受大御神を丹波の国から天照大御神に食事を司どる神(御饌都神)としてこの地(山田)に迎えた。) 疲れた旅人に神宮の玉砂利は足ツボを刺激して迎えてくれた。

■ 小田橋・尾部坂 ■約1km(14:50)
明倫小学校を過ぎてから街道を失った事に気が付いた。 迷ったついでに(得意です)近くのスナックで昼食をとる事にした。 川沿いを歩いて 小田橋に復帰する。 その先は長〜く続く尾部坂(この辺りに昔、三味線や胡弓をかき鳴らし、 旅人に投銭を乞うことで有名だった芸人、おすぎ・お玉が営業していた) 坂の頂上付近に荘厳「両口屋」が聳え立つ。 ここで疲れた旅人にプレゼント!

■ 古市(油屋跡・麻吉旅館) ■約2km(15:30)
ここから江戸の吉原、京都の島原と並ぶ三大遊郭、伊勢の古市に入る。 (全盛期には妓楼70軒、遊女約千人を数えたといわれる。 妓楼では舞台付の大広間で毎晩、伊勢音頭を唄い踊る声が絶えなかった。 また歌舞伎が盛んに上演され、妓楼(旅館)油屋で起こった、嫉妬殺傷事件 「油屋騒動」も歌舞伎の題材「伊勢音頭恋寝刃」になり演じられた) 今では古市で唯一、旅館「麻吉」が昔の面影を残している。

■ 古市参宮街道資料館 ■約500m(15:45)
伊勢自動車道の大きな交差点角に「古市参宮街道資料館」がある。 拝観料=無料、休館日=月曜、やさしい館長と伊勢街道についてお話した。この方も街道を愛する人だった。 古市を抜けると新緑の中2基の不思議な常夜燈が立っている。 小坡美術館横の牛谷坂を降りきると左に 開運の神様として信仰されている猿田彦神社があった。

■ おはらい町・おかげ横丁 ■約2km(16:10)
車の渋滞で混乱する交差点を超えて「おはらい町」に入った。 おはらい通りを人の流れに乗って進む。昔の喧騒が聞こえてきそうな気配。 人が込み合う一角に「おはらい町」のテーマパーク「おかげ横丁」がある。 この横丁は江戸期の伊勢路の町並みを再現し、御食事処・お土産屋や歴史館など35店が昔を売っている。 (伊勢では小さな路地や横丁を世古と呼んでいます。セコい奴の語源?)

■ お伊勢さん ■約1km(16:20)
伊勢の名物「赤福餅」で有名な「赤福」本店で庶民となった旅人は、 岩戸屋のお多福バアさんの「岩戸餅」には目もくれなかった。 昔はお多福バアさんの方が人気があったのになぁ。 ・・確かあの頃は看板娘だったような気がする。・・ そしてついに目的の伊勢神宮に着いた・・ ・・・16:30:内宮で手を合せた旅人は、心の中で何かが足りない気がした。・・・ (行程3.5時間(計9.5時間)・2001.05/04(金):万歩計=31214)

旅人:浮浪雲
7.松阪〜斎宮 9.お伊勢参り