41.知立宿〜鳴海宿へ(街道地図)
愛知県知立市→馬市跡→本陣→総持寺→逢妻橋→今川→阿野一里塚→桶狭間(13km:5時間)

■ 知立宿(池鯉鮒宿)について ■(2000年1月9日)曇り
テレビ番組で美味しいラーメン店の紹介をよくやっているが、 見ていると何故か無性に食べたくなる。美味そうなのだ。堪らず夜の街を駆け巡ることがあった。 最近ではカップ麺主流の中、家族は誰も食べない袋麺、ハウス食品「うまいっしょ」醤油味を常備している。 この地は古くから知立と言う地名だったが、 江戸時代から知立神社内の大きな池に 鯉や鮒が多く居た事から池鯉鮒と付けられた。 明治以降は知立を使用している。 池鯉鮒宿は木綿の集散地だった関係で運搬用に使われる馬の市 が立った。

■ 池鯉鮒の馬市辺り ■約500m
並木八丁と呼ばれる整備された松並木の歩道を歩く。 この辺りは広重の絵にある広々とした草原で行われた馬市の場所らしい。 当時の面影はないが広重の絵板と馬の像がその位置を伝えている。 松並木が終わる頃、馬市之跡の古い石碑が間違いないことを保証してくれていた。 やっと知立宿に着いたと思ったが、それは甘かった。 ここから宿場まで、まだまだ歩くことになる。とにかくお腹が空いている。

■ 地下道〜中町交差点 ■約1〜2km
快適な歩道を抜けると国道1号とぶつかる大きな交差点に出た。この国道の反対側に渡るためには地下道を 通らなければならない。暗くて狭いトンネルは苦手だが、 空の見えない薄暗い山道よりマシだった。 一番奥まで行って階段を上がると細い道がある。これが東海道だ。 名鉄の踏切りを渡り、市街地をしばらく歩いて六叉路の中町交差点に出る。 ・・・先程から美味しいラーメンを食べたいと思っているのだが・・見つからない。

■ 池鯉鮒宿中心 ■約500m
交差点左角に古い建物が残る。 異様に大きな造りで大仏様でも入っているのではと思った位だ。 右斜めの旧道を行くとタイムスリップ したように近代的な施設に挟まれた。 「池鯉鮒宿問屋場之跡」の碑がある右側は「食材スーパー」、 左のビルは宿泊予定の知立セントピアホテルだった。 交差点を渡ると「池鯉鮒銘菓」の看板 が嬉しいお菓子屋さん。街道に似合った家並みが僅かに残る。 この辺りが池鯉鮒宿の中心らしい。

■ 本陣跡・知立古城址・総持寺 ■約500m
街道と並行する1本左の道脇に、隠れるように本陣跡の碑が残る。 東海道に戻って西へ進むとすぐに突き当たり、右折すると知立古城址の解説板 (知立城は知立神社神官・永見氏の居城だった、今川義元が一時占領、桶狭間 の戦いで織田方の手に渡り、ここを御殿として利用したが元禄の地震で倒壊した) 正面の了運寺門前を左折する。地下道を潜って国道を渡るとまもなく左に 家康の側室お万の方誕生地碑総持寺の入口隅にある。

■ 逢妻橋〜国道・今岡町 ■約2〜3km
逢妻橋を渡ると国道歩きとなる。 ただ一途に歩いていると西丘町の歩道橋下で楽しそうな人形達と遭遇。 「元気だせよ」と言ってくれてるようで頼もしかった。 しかしウェートレス人形だけは俺の脳裏を刺激した。 左の旧道に入る直前の国道沿いに「ラーメンすぐ先」の看板。 ・・・国道のラーメン横綱を選ぶか、それとも旧道に残る今川の家並みを歩くか ・・・男の子は国道と別れ旧道に入って行った。(後で知ったのだが、偶然にもこの地は麺類の本場だったらしい)

■ 今川の家並み・乗運寺・新境橋 ■約3〜4km
選んだ道に間違いはなかった。乗願寺を過ぎた辺りから家並み美しく残っていた。 乗運寺境内には樹齢800年という椎の老木が有ったのだが、 疲労困憊とガス欠状態で覗くことは出来ない。 この先、国道の下を横切り旧道に行けるのだが、すでに身も心もハデな看板を求めて 新境橋を渡っていた。現実は厳しく反対車線に行く事が出来なかった。ラーメン食いたい!14:20限界に達し 豊明駅周辺を探し周ったが徒労に終わる。

■ 国道〜阿野一里塚 ■約1〜2km
・・・ついに反対車線に幻のラーメンを発見。命懸けで車の流れを制止し飛び込んだ。 絶品だった・・・。(気持ちに余裕が出てくると景色も違って見える) 国道に埋もれる面影が、昔道の高さを教えてくれていた。 道が別れる手前に阿野一里塚跡の看板があったので、周囲を探したが それらしき碑も無い。こんな珍しい一里塚跡もあるのかと思っていたら、 その先の旧道両脇に本物の阿野一里塚が現存していた。 ゆるい上り坂の途中に東海道名残の松が1本、大切に保存されている。

■ 前後〜桶狭間古戦場跡 ■約2〜3km
15:20:前後駅前の街道を過ぎ、静かな住宅街を歩いて行くと、やがて国道と合流し そのまま吸い込まれるように左にカーブする。中京競馬場前駅のガードを潜ると 左の坂上に桶狭間古戦場跡があった。公園として保存されており、 園内に今川義元が戦死した場所の碑がある。 今日はこの位で勘弁してやろうと思い、信長は中京競馬場前駅へ引き上げた。
・・・16:30、計画的な男は非常時に備え、知立駅前で名物の「あんまき」を大量に買い込んでいた・・ (行程5時間(計8時間)・2000.1/9(日):万歩計=36853)

旅人:浮浪雲
40.岡崎宿〜知立宿 42.鳴海宿〜宮宿