29.袋井宿〜見付宿へ(街道地図)
静岡県袋井市→宿場公園→古戦場跡→江戸の古道→遠州鈴ヶ森(6km:2.5時間)

■ 袋井宿について ■(1999年11月5日)晴
東海道五十三次の半分を歩き。ようやく周りの奴等が本気だと気がつく事だろう。 ・・・本当は俺だってこんな所まで歩いて来れるとは思わなかったのだ・・・ 確かに自慢のしすぎで退くに退けなくなり関東編で恰好つけようと思った時もあった。 男の意地でも、道があるから歩くだけでもない。 今は東海道を歩く事が楽しい。歩く街道の先に何かがありそうだ。 袋井宿は掛川宿と見付宿の間に江戸・京都からどちらも東海道27宿目の、 真ん中の宿場として、他の多くの宿より15年ほど遅れて、 1616年開設された。 袋井は宿場町よりもまわりの遠州三山に歴史的な遺構が多く、 法多山尊永寺(厄除け)、万松山可睡斎(火防霊場)、医王山油山寺(眼病治療) とそれぞれのご利益参詣で賑わい、 また袋井では江戸時代に花ござを名産物としていた。

■ 宿場入口・東本陣跡 ■約200m
国道と合流する大きな交差点を左に曲がり市役所前に袋井宿の説明板(写真左)がある。 石柱にも書いてあるがここから袋井宿の入口らしい。 広重の絵はこの天橋辺りから描いた構図であるが面影はない(写真中)左の宿場道を行くと右手に、今は空き地となっている東本陣跡(写真右)があった。 (袋井宿には本陣が三軒あり、一番大きな本陣は田代本陣で、 東側にあることから東本陣とも呼ばれている)

■ 宿場公園・秋葉常夜燈 ■約200m
町の中に「東海道どまん中」の看板が目立つ。 しばらく行くと左に袋井宿場公園(写真左)がある。袋井宿のシンボル公園で ここにも「東海道どまん中」の大きな看板があった。 門の中は芝生がありベンチに腰掛け靴下を脱ぎ横になる。 トイレも済ませ信号を渡って御幸橋(写真中)手前にまた公園、そこに秋葉常夜燈(写真右)が 建っていた。ここで袋井宿は終わりになる。 東海道一短い宿場の通り、あっと言う間の宿だった。

■ 国道から一里塚 ■約2〜3km
やがて国道(写真左)とぶつかり、そのまま直進する。しばらくすると歩道橋の右手に旧道が見え、 その静かな旧道を行くと左に江戸から61里目の真新しい木原一里塚(写真中)整備されていた。 斜め前方には「許禰神社」、入口に 木原畷の石碑(写真右)があり (この辺は木原畷と呼ばれた集落で戦国時代に武田信玄と徳川家康が 戦った古戦場跡) 隣にある石に徳川家康が腰掛けたと解説板に書いてあった。

■ 須賀神社の大楠・三ヶ野 ■約1〜2km
再び国道を歩き蟹田川を越え、しばらく先の手書き案内板に従って 国道左奥に行くと大きな楠木(写真左)が須賀神社を隠していた。 三ヶ野橋(写真中)を渡ると視界が開けた交差点に出る。 ・・・丁度お昼。左に一軒の食堂があり天下無敵の足は勝手に店に上がり込んでいた。 しかし、 この食堂は外見に似合わず「お好み焼き屋」だった。ここは都会では無い。この店しか無い。 ぐっとガマンして・・ヤキソバ定食! その先は街道の雰囲気を残す松並木(写真右)

■ 江戸の古道 ■約1〜2km
道はゆるやかに上り二又の一方に大正の道と言う石碑があった。 思い出した! 平成東海道五十三次ひとり旅のイラスト地図が脳裏に浮かぶ。 スンナリ江戸の古道を見つけることができた。先駆者に感謝しなければ! しかし都会っ子は山道(写真左)は苦手(急いで撮るので写真がブレる) 速足で上った坂の上の広場は大日堂古戦場跡(写真中)だ。 (徳川側本多平八郎が先程の木原畷に陣取る武田勢を物見した) 近くに鎌倉の古道もあったが、怖いので知らん振りして脱出! 明治の道と出会う十字路に石碑(写真右)があった。人家も並び、やっと一安心。

■ 岩井村から見付宿 ■約1〜2km
国道1号と並列に丘の上を歩くとやがて道は下り(写真左)、 再び上り坂となる所に松並木が残る。国道と合流した歩道橋側に 遠州鈴ヶ森(写真中)の小高い塚がある。 (遠州鈴ヶ森=江戸時代の刑場跡、品川宿に鈴ヶ森刑場がある。 階段を登ると無縁仏を奉った碑があり、処刑された人を供養した場所で、 実際の刑場はこの近く三本松にあり金谷宿で登場した日本左衛門が晒されていた) この先、道は国道から右に別れ三本松の急坂(写真右)を下る。
・・・午後1時30分:見付宿に到達した旅人は夕方になっても帰ってこない男の子状態になっていた。 (行程2.5時間・1999.11/05(金):万歩計=計測中)

旅人:浮浪雲
28.掛川宿〜袋井宿 30.見付宿〜浜松宿