27.日坂宿〜掛川宿へ(街道地図)
静岡県掛川市日坂→小夜の中山→夜泣き石→日坂→伊達方→馬喰橋(8km:3時間)

■ 日坂宿について ■(1999年11月4日)快晴
此れしきの坂にヘコタレテはならない。・・・会社で街道歩きを自慢していたら 誰かが言っていた。 「今年中に京都に着かなければ振り出しに戻って下さいよ!」 ・・・日本橋からやり直しなんて事にならないようにガンバローっと。 ・・・日坂宿(ニッサカ宿)は西に掛川宿、東に金谷宿という大きな宿場にはさまれ、 東海道でも1、2を争うほど小さな宿でした。 古くから峠越えの宿客を迎える小規模な宿が営まれていたようです。 当時は、小夜の中山の西側にあった事から、「西坂」と呼ばれ、 しだいに呼び名が転化して江戸期には「日坂」となった。 東から本町、下町、古宮町と宿場はゆるやかに曲る。

■ 久延寺・扇屋 ■約500m
宿場境を過ぎてからも登りは続き、やっと上り切ると、そこに 古刹久延寺(写真左)があり、境内の夜泣き石(写真中)を見学した。 その先には子育て飴で有名な扇屋(写真右)がある。 (・・子育て飴= 11世紀頃。この地に住む小石姫を嫁がせようと思った母は小石姫が すでに子を宿していることがわかり、悲嘆に暮れて亡くなってしまう。 小石姫は長男を生んだ後、身の不孝を嘆き自害し、 残された遺児が、扇屋の飴に育てられ中国に渡り修行を積み 徳の高い僧になったという。 その子育ての飴こそ現在も伝わる扇屋の飴)

■ 小夜鹿一里塚・峠道 ■約500m
この後、緩やかな下り坂が続いている。江戸から54番目の小夜鹿一里塚(写真左)を 越し、のんびりとした尾根の道(写真中)を歩く。 さっきから人や自動車と出会った記憶がない。この東海道を一人独占状態だ。 ・・・早い時間帯の風呂屋(湯船に一人)・新幹線グリーン車と快適な状態は大好きなのだ。・・・ そして何時ものようにトボトボ歩くと路傍に馬頭観世音(写真右)があった。 (従来から馬の保護神として信仰されていたが街道歩行する人馬の安全を祈願して 各地に石碑が建てられた)

■ 妊婦の墓・涼み松跡 ■約500m
右の茶畑に妊婦の墓(写真左) (自害した小石姫の墓) 前には芭蕉がこの場所の松の下で休憩した涼み松跡(写真中)句碑(写真右) (命なりわずかの笠の下涼み)がある。 松は写真でご覧のように枯れていた。枯れ松は茶色だが、この松は天候の関係 か■茶褐色■というよりか■胡桃色■に近い色だった。 今でも、周囲に何も無いこの街道を夏に歩いたら大変だと思う。 やがて行く手に木々が見えてきた。

■ 夜泣き石の跡 ■約500m
何処かの雑誌で見たような(写真左)場所を歩いている気がする。 やはり道路の左空き地に夜泣き石跡(写真中)の小さな石標があった。 この道路の真ん中に久延寺で見た大きな石が置いてあったようだ。 (夜泣き石=この場所で妊婦が山賊に殺されたが、幸いお腹の子は助かり 、我が子を助けたい母の一念が大きな丸石に乗り移り、石が夜毎泣いて 人を呼び寄せた。助かった子供は久延寺の和尚に飴で育てられ、 後に母の仇を討ったという。 丸石はその後も夜になると泣き続けたため、この地を訪れた 弘法大師が供養して泣き声を鎮めた) そばの広重の絵碑(写真右)で当時の様子がわかる。

■ 日坂宿場内 ■約500m
しばらく行くと道は沓掛の急な下り坂(写真左)となり、 広重の絵碑「日坂峠」辺りで視界が開け、 坂を降りきったら国道1号を横断して 旧東海道に入り、静かな佇まいをみせる家並み(写真中)をしばらく歩く。 家々には昔の屋号の木看板が架けられ、微かな面影を残してくれていた。 交差点右角の扇屋本陣跡(写真右)は街道松が植えられ宿場一番のモニュメントだ。

■ 古い家並み・高札場跡 ■約1km
まだまだ古い家は残っている。昔のまま営業をしている旅篭お店(写真左)が、 時を止めたように居た。街道に良く似合う格子窓が今でも旅篭・川坂屋(写真中)で見ることが出来る。 この川坂屋の西側から写真を撮りたかったのだが残念な事に改装工事中だった。 その先カーブを曲ると宿場出口に再現された高札場(写真右)がある。 ここで日坂宿が終わり、時間も15時近くになったので今夜の宿が気になった。 この時間では掛川のビジネスHはどこも一杯だ。 6軒目の「ニューホテルわかまつ」で部屋を確保。 駅から遠く、新幹線と反対側の立地が幸いした(旧東海道に近い・・・)

■ 事任八幡宮〜塩井神社 ■約1〜2km
宿場を抜け国道1号とぶつかる左に事任八幡宮(写真左)がある。 (坂上田村麿が興したと伝えられ、願いが「事の(任)ままに叶う」と 評判を呼び賑わった) 宿を確保した安心感から八幡宮裏の新築トイレで少し休憩をした。 掛川まであと2時間!。ふらりと立ち上がり黙々と国道(写真中)を歩きだした。 やがて道はバイパスを越え二又になり左の旧道を行く。 この場所に塩井川を挟んだ塩井神社(写真右)がある。 写真では良く判らないと思うが、鳥居と神社の間に川が流れていて、 参詣するには下の浅い川を渡らなければならないのだ。

■ 伊達方一里塚から馬喰橋へ ■約4〜5km
しばらく歩き交差点近くの伊達方一里塚(写真左)を抜けると国道にでる。 しかしスグに左の旧道を歩くことになる。 静かな街道は短く、道は再び国道と合流した。 あとは逆川を道連れにヒタスラ歩き(写真中)馬頭観音がある分かれ道を旧道に入り掛川に向かう。 途中、農協前に大事に保存されている史跡(写真右)を通過し馬喰橋を渡った。
・・・午後18時:掛川の本屋に東海道の地図を探している無計画な男がいた。 (行程3.5時間(計9時間)・1999.11/04(木):万歩計=40492)

旅人:浮浪雲
26.金谷宿〜日坂宿 28.掛川宿〜袋井宿