![]() | 26.金谷宿〜日坂宿へ(街道地図) |
| 静岡県榛原郡金谷町→金谷宿→金谷石畳→菊川坂→菊川の里→中山峠(5km:2.5時間) |
■ 金谷宿について ■(1999年11月4日)快晴![]()
この足は一体何処まで行ってしまうのだ。
我が足ながら感心する程よく動く。
この長い大井川を一気に抜け、間違いなく掛川まで行ける確信をしたのだった。
金谷宿は江戸から二十四番目の宿場で、
東に大井川、西に小箱根といわれた金谷坂や小夜の中山の難所を控え、
交通の要衝として大いに賑わった。
川会所、川越し人足の番宿、札場、高札場などが立ち並んでいた河原町と
河原町から西へ向った先に本陣・問屋場・旅篭のある本町
にわかれていて、本町は宿場の伝馬役を、河原町は川越の役務を分担していた。
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■ 日本左衛門首塚 ■約500m![]() ![]()
大井川橋を渡り、信号左の道を行くと突き当たりの金谷宿東公園に川越の絵板(写真左)がある。
ここを右に曲って金谷宿へ向かう。
街道(写真中)沿いの人に「宅円庵」
(地元の人は庵寺と言っていた)
を尋ね、教えてもらった左路地をしばらく歩くと、
その場所に日本左衛門の首塚(写真右)があった。
(遠州の大義賊・歌舞伎の「白波五人男」
の頭目で知られる日本左衛門。京都
で自首し、江戸で処刑され、見付宿にさらされていた首を金谷宿の
愛人「おまん」がひそかに持ち帰り
この宅円庵に埋葬した)
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■ 新金谷から金谷宿 ■約1〜2km![]() ![]()
東海道に戻り西へ向かって間もなく
SL列車で有名な大井川鉄道「新金谷駅」横の踏切り(写真左)を横断し、
その先の大代橋を渡ると宿場(写真中)の中心に入って行く。
この金谷宿には古い家並み(写真右)が数多く残され、
しばし東海道から離れ路地裏を流浪することにした。
・・・昼近く、街道に復帰し蕎麦屋に入った。店を入った途端に寿司屋のカウンター?・・
しかもメニューには中華もあった、何でもあった。カツ煮定食を
食べた後、もう一度看板を見たが間違いなく日本そば屋の看板!?・・
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■ 金谷宿本陣・一里塚 ■約500m![]() ![]()
店を挟んだ道路向こう側に金谷宿(佐塚)本陣跡(写真左)
その先はゴミにまみれた柏屋本陣跡。
緩い坂をさらに歩くと左にガードが見え、その角に金谷一里塚(写真中)の道標がある。
このガードを潜り右の道を行く、金谷駅の裏口を横に見ながら、細い坂道の
家並みを歩く。途中の不動橋左手奥に小さなお堂があった(お不動様かも知れない)
ここら辺りから極端に急勾配、突き当たりの大きな道路に登り、
今来た道を振返って金谷宿を眺望(写真右)した。
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■ 金谷坂石畳 ■約500m![]() ![]()
石畳入り口の大きな看板を見ながら登って(写真左)行くと、スグに石畳430mが見えてきた。
登口に「石畳茶屋」がありトイレと水分補給を行う。
(自販機は無いので持ち出しOKのラムネを買う)
誰も居ない石畳(写真中)を歩き始めたが、フッと「宇津ノ谷峠」を思い出してしまった。
ここには日本左衛門の庚申堂や地蔵さんの旧跡があったのだが。
情けないことに前方にある赤い幟の揺らめきにさえビビリ、
走るように登ってしまった。
それでも出口(写真右)には地中から夢の国に出たような素晴らしい空があった。
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■ 菊川坂から菊川の里 ■約1〜2km![]() ![]()
これまで東海道を歩いてきたが、こんなに気持ち良く清々しい気分で歩ける
場面に遭遇したことはなかった。
今、茶畑に囲まれて丘の上を歩いている♪。
菊川坂(写真左)石畳を下ると其処にはひっそりと菊川の里があった。
今日は平日のせいか人影も無く、旅人だけが歩いていた。
この古い宿場には時間がゆるやかに流れているようだ・・・
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■ 小夜の中山へ長い登り坂 ■約1〜2km![]() ![]()
町の中に「藤原宗行卿詩碑・日野俊基歌碑」(写真左)がある。
(鎌倉時代・二人とも倒幕の罪で鎌倉に護送中にこの菊川で
詩歌を残した)
静かな里(写真中)を後にして、箭置坂の急坂を登って歩く。
けっこうキツく、そして長い。振返ると絶景だ。(写真右)でも前方には登り坂が続き
座る場所の確保に目が走る。(疲れた)
そして振返る。いいなぁ〜・・・午後1時30分:旅人は短い間に天国と地獄を味わい、情緒不安定となっていた。 (行程2.5時間・1999.11/04(木):万歩計=計測中) |
25.島田宿〜金谷宿へ
27.日坂宿〜掛川宿へ
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