![]() | 23.岡部宿〜藤枝宿へ(街道地図) |
| 静岡県志太郡岡部町→本陣跡→五智如来像→横内橋→八幡橋→藤枝(7km:3時間) |
■ 岡部宿について ■(1999年11月3日)快晴![]()
旅人の歩力は時速2〜3k(1日15k程度)燃費も悪い(グリーン車が好き)
これからは費用節約のために低速・高燃費を改めなくてはならない。
それでも普段タバコを1日80本も吸っているのに、
歩いている日は1箱で済んでいる。不思議だ?
岡部宿は、歴史の古い町である。
戦国期の武将、岡部氏が居住し地理上、今川・武田・徳川の大きな領土に囲まれ
人の往来が激しく交通路の整備が進んだ。
岡部宿は他の宿場と比べ旅籠屋の割合が少なく
往来する人々を相手にした商店(茶屋・駕籠屋)が多かった。
居住者の生活は農業、薪売り、木綿織りなどに依存
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■ 十石坂観音堂 ■約2〜3km![]() ![]()
国道と合流し右手階段上に十石坂観音堂(写真左)がある、街道沿いの町並みは宿場が
近い事を感じさせる古い家が並ぶ(写真中)。岡部橋を越え街道右奥に由緒ありそうな寺は
西行座像が安置されている専称寺(写真右)だ。
それにしても西日がキツイ、眩しいのだ、旅人はガマンしてもデジカメは
ガマンしてくれない。どうも写真がうまく撮れている気がしない。
失敗を怖れ同じ場面を何回も撮り直すことになった。
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■ 岡部宿本陣 ■約1km![]() ![]()
国道に出ると改装中の旅篭(柏屋)(写真左)が現れる。
その先、道の片隅に「岡部宿本陣跡」(写真中)の碑があった。すごく小さい。
この岡部の宿は古い家(写真右)が多く残っているのだが、先ほどの日射しの関係で
残念だがうまく写真に撮ることは出来ない。こういう家並みは雨の日がしっとりと
似合うと思う。原では富士山は見えなかったし、岡部では落ち着いた家並み
を見ることが出来ない・・・東海道は忙しいのだ、小さな旅人にかまっちゃいられないのだ。
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■ 五智如来像 ■約1〜2km![]() ![]()
中心街に入るとコンビニ横に「五智如来像」(写真左)が安置されていた。
解説板には
(田中城主内藤紀伊守に口の不自由な姫君がいた。何とか治せないものかと
悩んでいた。人伝えに誓願寺の如来像を念ずるよう言われ、
その通り願かけたところ姫は口がきけるようになったという)
岡部の松並木(写真中)を抜け藤枝バイパスと交差する大きな信号に出る。
京都方面から歩いて来る人のために振返ると、交差点角に岡部宿の石碑(写真右)があった。
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■ 横内橋 ■約1〜2km![]() ![]()
バイパスを超えると左に慈眼寺(写真左)の落ち着いた塀が見える。傍らの白い棒に史跡案内が書かれている
が岡部宿の案内碑は皆、白地に黒ペンキで書かれた簡単なもので
統一されているようだ。やがて遠い昔に見た事があるようにな懐かしい橋に出会う。
横内橋だ(写真中)
この先、法の橋手前でお昼となったので小奇麗な店でラーメンを食べた。
(旅人は安いラーメン・カレーライスが大好きです)
さっきから左の方で川の音がするので土手に登って街道を眺め(写真右)てみた。
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■ 八幡橋から須賀神社クスの木 ■約2〜3km![]() ![]()
八幡橋を渡り右に道を行く、傍らに「東海道」の古い石標(写真左)。
藤枝市に入った街道(写真中)は西へ向かってなお続く。
前方に一際目立つ森があり、近づくと、それは一本のクスの木(写真右)だった。
神社を凌ぐ勢いに圧倒される。・・・午後14時00分:旅人の足はマシンと化し、心は、もしかして島田宿まで 行けるかも知れない錯覚と陶酔状態となっていた。 (行程2.5時間・1999.11/03(水):万歩計=計測中) |
22.丸子宿〜岡部宿へ
24.藤枝宿〜島田宿へ
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