21.府中宿〜丸子宿へ(街道地図) |
静岡県静岡市→駿府公園→市内→安倍川→旧道→一里塚(6km:2時間) |
■ 府中宿について ■(1999年9月24日)豪雨→曇 丸子の丁子屋で昼飯でもと思ったが、西郷・山岡会見跡を探し回りすでに11時 をすぎていた。雨も降ってきたことだし、駿府公園横のバスターミナルの ビル地下街に入り「アートコーヒー」ショップでツナサンドを食べた。 府中宿は現在の静岡である。駿河の国府が置かれ、徳川家康がこの地を治め 駿府城を築いた。城下町、府中宿は碁盤のような町割りで小田原宿のように 今では茶町、研屋町、呉服町、材木町、紺屋町等の町名だけが残り宿場を偲ぶ ものはありません。 |
■ 西郷・山岡会見跡 ■約1〜2km 静岡市内(写真左)に入ってからも右に静岡鉄道の線路を意識していた。 中心街に近づくにつれビルが高く(写真中)なってくるのを感じる。 地図を見ながら西郷・山岡会見跡を探しているうちに駿府公園の石垣にぶち当たって しまった。街道を戻ると寿司屋の前(2010.11現在、ペガサート前に移動)に二人のレリーフ(写真右)があった。 (西郷・山岡会見跡=官軍・西郷隆盛と幕臣・山岡鉄舟が江戸無血開城 について会談した場所である) |
■ 駿府公園 ■約200m 地下街から表へ出ると豪雨となっていた。しばらく待ったが風も吹き、ますます 強くなってきたので、ついに重かった雨具を取り出し装備した。ふと笑いが込み上げてきた。 誰も居ない通りを歩き回ってみた。一瞬にして靴の中がビショビショ状態 となる。 (駿府公園=徳川家康ゆかりの駿府城跡に造られたもので 、静岡市内の中心に位置する) このまま丸子に向かって出発した。 |
■ 府中宿・旧道 ■約2〜3km 何処を歩いているのか解らない状態で10分も歩くと風雨は収まりデジカメを取り出せるようになった。 人もまばらに出てきたので旧道を訪ねてみた。 突き当たりの大きな公園が寺町(写真左)で右に曲り 耳鼻科(写真中)の角を左に曲ると旧東海道だと教えてくれた。雨具が邪魔になり途中のガレージで脱いだ。 道の先(写真右)に橋らしき雰囲気がただよう。後で解ったのだが、橋の手前の公園に多くの史跡が集められていた。 |
■ 安倍川 ■約500m 公園の先「石部屋」(写真左)という「あべ川餅」を売る老舗がある。 (安倍川餅=安倍川上流で金がとれることから 家康公に献上するお餅にまぶした「きなこ」を「金な粉」と 称したところ喜んだ家康が「あべ川餅」と名付けたとされている) 隣には「安倍川の義夫の碑」(写真中)がある。 (旅人が落とした大金150両を 川越人夫・喜兵衛が宇津の谷峠まで追いかけて 届けた。礼金を払おうとしたが「拾ったものを落し主に返すのはあたりまえだ」 と言ってどうしても受け取らない。間に入った町奉行が言っても聞かず、 礼金は旅人に返し代わりに町奉行が褒美を与えた) 正直者に感動し安倍川橋(写真右)を渡る。 |
■ 丸子入口 ■約2〜3km 橋を渡り、坂を下ると左下に宿場の面影が残る家(写真左)がある。 市街を抜けてきたせいか、この先は所々に昔の東海道を偲ばせる雰囲気を 感じる。国道とぶつかり横断歩道橋(写真中)を渡り再び左の旧道を行く、丸子の 中心街を抜けると、ひっそりと右歩道上に小さな丸子一里塚(写真右)があった。 そして強い雨を凌ぎ、弱くなると歩き出した。 |
■ 丸子宿本陣跡 ■約500m しばらく行くと道は狭くなる(写真左)歩道が無く車に注意! やがて「丸子宿本陣跡」(写真中)を右に見る。左右に「明治天皇お休所」の碑(2つも)があるが 地元の人にとっては大切な宝物なのだろう。この明治天皇お休所は途中何度もお目にかかり街道を歩く旅人にはあまり興味がない。 そして東海道は雨が降りしきっていた。(写真右) ・・・午後15時:旅人は豊橋で竜巻発生のため新幹線が2時間遅れで混雑する 「静岡駅」にいた。 (行程2時間(計6時間)・1999.9/24(金):万歩計=31565) |
20.江尻宿〜府中宿へ 22.丸子宿〜岡部宿へ |