20.江尻宿〜府中宿へ(街道地図)
静岡県清水市→稚児橋→追分→草薙→長沼→府中(11km:4時間)

■ 江尻宿について ■(1999年9月24日)雨→曇
清水〜湊の名〜物は♪お茶のぉ〜香りぃ〜と♪男〜伊達♪ ・・身体は快調である。無理をしなかったせいか、筋肉痛も靴擦れもなかった。 ホテルの窓からは清水港が良く見える。しかし台風の影響で外は雨。 ・・・ 江尻は、武田信玄が築城した江尻城の城下町として栄え、 江戸時代には天領地となった、 また、長く突き出た三保の松原(羽衣の松で有名) に包まれた清水湊は天然の良港で、 廻船問屋も幕府に認可され、江戸と大阪を結ぶ廻船ルート が確立し、巴川の河運と共に江尻宿は活気づきます。

■ 清水の次郎長 ■菩提寺・梅陰禅寺=静岡県清水市南岡町3−8:0543-52-0995
昨日、清水に着く頃から♪旅姿三人男♪を口ずさんでいた。 駅前の市内循環バスで「港橋」に行き、次郎長通り商店街の中にある「次郎長の生家」(写真左)を見物した。 清水次郎長(1820〜1893)=本名は山本長五郎といい、 二十歳の頃から遊侠の世界に身を投じ。 喧嘩博打に明け暮れ、やがて東海道一の大親分となる。 明治維新後は山岡鉄舟、榎本武揚らの知遇を受け、 政府に清水の治安を任されると共に 三保の開発、 富士山麓の開墾、英語塾の開設と人のために働く。 清水市の梅陰禅寺には、子分や妻(蝶)らの墓に守られるように 次郎長の墓がある。

■ 宿場中心・稚児橋 ■約500m
朝7時半、小雨の中、清水銀座商店街(写真左)を歩く、カラフルな道路タイルが途切れた交差点 を左に曲ると巴川を渡る「稚児橋」(写真右)がある?いや無い!! 工事中であった。橋の欄干の童子とカッパ像は何処に行ったのだろう。 さっき商店街の中ほどで見たクジラのモニュメント(写真中)で我慢しておこう。 (稚児橋(仮)=江戸時代、この橋が完成し、渡り初めの日 に突然、川の中から童子が現れ 橋を渡り姿を消してしまったという。 人々はカッパが童子に姿を変えたと噂し、 以来、「稚児橋」と呼ぶようになった)

■ 追分羊かん ■約1〜2km
15分程歩き、大きな交差点を渡った先に「追分道標」(写真左)があり、碑には「是より志みづ道」と書いてある。 隣には「追分羊かん」の店(写真中)があった、元禄年間開業の老舗は街道の名物と知られ、昔からファンが 多かったようです。 すぐ近くの「都田吉兵衛供養塔」が見つからない。 地図上では近くなのに?何度も探しているうちに雲の切れ間から 太陽が出てきた。53次ガイドはアバウトなのだ。相当先に 供養塔(写真右)はあった。 (石松殺しの都鳥は清水一家に討たれ里人に供養された)

■ 踏切り越えから高速道路下 ■約4〜5km
金谷橋を通過し東海道本線の踏切り(写真左)を渡る。旧道を進み国道と交差する。しばらく国道を歩くと 橋の先に草薙神社への鳥居(写真中)が見える。 (草薙神社=祭神は日本武尊で東征の際、この地で賊の火攻めにあい、 天叢雲剣で草を薙ぎ野火の難を免れ賊を平定したという) その先、大きな交差点を渡り、1本左の静かな旧道を行く。 所々にお茶畑?がある住宅街を抜けると前方には高速道路が見えてきた。 その手前に親切な歩道の橋(写真右)があった。

■ 草薙総合運動場 ■約500m
9時20分旧道は通りに突き当たる。目の前は野球場の照明灯が立ち並ぶ草薙総合運動場だ。 (静岡市栗原19-1 054-261-9265 ) どうもリュックが重くて肩が痛い。さっきから気になっていた、 みかんを取り出し食ったら少し軽くなった。 それとツーリング用雨具は失敗だったかも知れない。 旅人はいつも快適な状態じゃないと何かのせいにする悪い癖がある。 国道を横断し、静岡鉄道の「運動場前駅」を通過(写真右)した。

■ 旧東海道は地下道になった ■約500m
道は行き止まり。旧東海道はJRの操車場に姿を消されてしまった。 そこには無くなった由来の記念碑(静岡中央ロータリークラブ)(写真左)が建っていた。 すぐ脇の地下道(写真中)を通って向こうへ行かなければならない。 地下道に入ると、車がピッピッと警笛を鳴らしている。 なるほど出入り口は一車線なので合図を送って通過しているのだ。 地下道の真ん中(写真右)は広くなって交差できるようになっていた。

■ 長沼一里塚 ■約1〜2km
階段を登り地上に出る。左の線路沿い道を歩き何とか旧道に復帰。 しばらくすると国道1号と交差する。左には別世界の建物(写真左)。 大きな交差点を渡り右斜めの旧道に入る。途中、新築のお寺(写真中)を見ながら長沼一里塚 を探す。長沼駅を通過しても解らなかったので意地になって戻り探した。 誰もが見逃す一里塚を発見!(写真右)民家の前にある50センチ位の石棒で、 そこの家の人は植木の台に使っていたのだ。

■ 地上げ屋JRから府中宿へ ■約1〜2km
国道を横断して旧道らしき道を行ったが行き止まり(写真左)であった。 そこは、またJRの敷地である。旧東海道は淋しがっているぞー!。 国道に戻り「柚木駅」前の交差点を左折して再び地下道を(写真中)潜る。 スプレー落書きのトンネルを出て階段を登る。旧道を進み最後の地下道(写真右)を抜けると 府中宿の東へ出た。時刻は11時
・・・正午すぎ:豪雨の府中宿を完全装備の旅人が笑って歩いていた (全行程4時間・1999.9/24(金):万歩計=継続中)

旅人:浮浪雲
19.興津宿〜江尻宿 21.府中宿〜丸子宿