13.三島宿〜沼津宿へ(街道地図) |
静岡県三島市→広小路→対面石→潮音寺→平作地蔵(6km:2時間) |
■ 三島宿について ■(1999年8月26日)晴 最後の夏休二日を東海道歩きに充て蒲原まで行く予定だ。 この日のために極秘行動!軽いデジカメ(フジ80)も密かに購入していた。 家族が寝ている内にそっと出る。振り向くと4階の窓から手を振る 家族の姿があった。(・・・武士の情けに感謝する・・) 三嶋は源頼朝が挙兵に当たり戦勝祈願した三島大社が有名で、その門前町として、 箱根越えの宿場で賑わった。 町は富士山の溶岩流上にあって、その空洞から湧く伏流水が町中を流れ「水の都」と呼ばれている。 |
■ 水の町 ■約2〜300m 8:52分東海1号で三島着。良い天気だ。この分なら富士山を見られそう。 富士山を横に東海道を旅姿で歩く・・・やって見たかったんだなぁ〜。 駅前を前回来た道を辿って戻る。楽寿園は10時開園だった。 市立公園「楽寿園」は明治23年小松の宮別邸と造営した緒明邸一部を 昭和27年に解放以来市民の憩いの場として人気。(2万坪) 道左手の白滝公園で子供の声がした。水を飲もうと近づくと、かわいい声で「三島のお水をどうぞ」 と言われた。ドキ!!オジさんはカセットテープの声に気が付くのが遅かった。 この公園は高い木立に囲まれてせせらぎの音(写真右)が心地よい。 |
■ 三島宿中心 ■約500m 本町交差点を右折、道の片隅にに50cm位の小さな「世古本陣跡」(写真左)の石碑を見つける。 このあたりが東海道三島宿の中心だ(写真中)。商店街を進み左手の三石神社境内に 除夜の鐘が似合いそうな「時の鐘」(写真右)がある、良く見ると気持ちよさそうに櫓の片足を源兵衛川に入れていた。この川は 音を立てて流れ、飲みたくなるほど透明だ。 |
■ 旅浪漫の一里塚 ■約1km 三島広小路駅の踏み切り(写真左)を渡り、町外れの旧道を進むと道の両側に一里塚、それぞれ玉井寺、宝池寺(写真右)と別々の寺境内にある。 デジカメをしていると街道歩き姿(リュックにボトル)の年配の方がいた。信号の所でどちらともなく 挨拶し道中二人旅となる。会社の報奨休暇2週間を利用して東海道を日本橋から連続歩行しているそうだ。 箱根を一気に越し足にマメが出来て、今日は沼津で休養予定とのことだった。 |
■ 長沢八幡宮(対面石) ■約500m 旧道右手に長沢八幡宮の表示があり、対面石を見るため、ここでお別れした(スグ追いつくだろうと思った・・・) 桜並木参道奥の鳥居(写真左)をくぐると境内突き当たりに対面石(写真右)があった。 対面石=1180年(治承4年)平家との富士川の戦いを前にして、初めて奥州から駆けつけた弟義経と源頼朝が会った所で 、この対面のときの腰掛け石(少し高い石と低い石が向かい合っている)が残っている。 旧道に戻り、さっきの東海道の兄頼朝を追いかける。しかし姿は見えない。この先沼津までとうとう会うことは出来なかった。 旅とは・出会いとは・・男同士はこれでいい・・ |
■ 黄瀬川から潮音寺 ■約1〜2km 街道には長沢の松並木(写真左)と言われる松が少しの間残っていた。 道は歩道の無い危険な黄瀬川の橋(写真中)を渡ることになる。 ここからは沼津市だ。その先右手に亀鶴姫で有名な潮音寺(写真右)がある。 亀鶴姫=鎌倉時代の美人白拍子で曽我物語の仇役工藤祐経の愛人で境内に亀鶴の墓がある。 |
■ 平作地蔵 ■約1〜2km しばらく歩くとギラギラの太陽と国道が合流する。再び左手川沿いの旧道(写真左) を行くと橋の下あたりに平作地蔵(写真中)があった。 平作地蔵=「伊賀越道中双六」にある渡辺数馬(平作の娘が数馬の妻)の仇河合又五郎の行方を 我が子の十兵衛から聞き出したのがここ。 旅人は初めての出張で伊賀上野を訪れたことがあり平作爺さんに会いたかったのだ。 その先スグに公園があり目立たない一里塚と『玉砥石』(写真右)がある。 玉砥石は古墳時代に玉を磨いた砥石だという。 ・・・午前11時00分:旅人は快調に歩いている。 (全行程2時間・1999.8/26(木):万歩計=測定中) |
12.箱根宿〜三島宿へ 14.沼津宿〜原宿へ |