10.小田原宿〜箱根旧道へ(街道地図)
神奈川県小田原市→松並木→小田原城→風祭→入生田→三枚橋(12km:3時間)

■ 小田原宿について ■(1999年7月3日)雨
梅雨が終わらない。天気予報は大雨、旅人は迷っていた(う〜ん・秘密兵器を試したいし・・・・) グズグズして国府津に着いたのは9時30分だった。 駅前は試練のドシャブリ、真新しいウォーキングシューズ(兵器1)のヒモを固く絞め 気合を入れて歩き出した。 ・・・小田原宿は江戸日本橋を発って以来、9宿目にして初めての城下町である。 幕府は、江戸防衛のため架橋、渡船を許さなかったため宿場に入る手前の酒匂川を人力 で渡らなければならなかった。広重の絵にある後ろの山は天下の嶮、箱根山。

■ 彼方に見える箱根山 ■約500m
商店街のアーケード(100m)に一瞬喜んだ。やっぱりほんの一瞬だった。 現実に戻ってしばらく歩き「もりと川」を渡る、川は濁流の茶褐色になっていた。 道はやがて松並木になり歩きやすい歩道となった。 途中、バス停に一里塚という名を発見したので、周囲を探しまわったが何もなかった。 見上げると、遠く彼方に山が見える。箱根は遠そう・・・ 何もない国道を歩くため、暇つぶしにと携帯ラジオ(兵器2)を持参してきたので 試してみたが、何の役にもたたなかった。ただじゃまになっただけだった。 (帰ってから分析したが、見知らぬ土地を歩く場合、自分の頭脳はメモリーが少なく余裕がない為だったと判明)

■ どしゃぶりの雨の中・酒匂川 ■約2〜3km
さっきから酒匂の地名が目に付くのだが川が登場しない。雨足が強くなってきたので、 大きな病院の玄関で雨宿りをする。右手前方に由緒ありそうな建物があった。 看板を見ると社会福祉法人「ゆりかご園」とある。 こういう歴史ある建物をどんな手段を取ってでも残していただきたい。 先へ急ぐ旅人の前に酒匂川はやっと現れた。 酒匂川 =(富士山、丹沢山地、 箱根山に発して、45キロに達する。 江戸時代、大きな川は旅人にとって不便であり酒匂川も、川越人足の肩や蓮台にのって渡る 方法がとられていた。 雨が続けばたちまち川は増水し、水位が低くなるまで近隣の宿場で待機しなければ ならなかった。 当時の浮世絵などに見られるように小田原といえば酒匂川の渡しと決まっていたのは この不便さの印象があったのかもしれません)

■ 新田義貞首塚・江戸口見附跡 ■約2〜3km
橋を渡って500m程で国道は左から来る細い道と交差する。 その細い道を戻るように入って行くと首塚への案内図 があった。住宅地の中でニワトリの鳴き声(養鶏場)がしたので、誘われるように行くと 目立たない小さな公園の中に 新田義貞の首塚がひっそりとあった。 (1338年義貞は越前藤島で戦死、その家臣の宇都宮泰藤は 首を抱いて上州新田へ向かう途中で病み、遂にここに首を埋め、自分は病死してしまったという) 国道へ近道しようと歩きまわったが疲れただけだった、結局もと来た道を戻った。(教訓:愚直に生きる) なかなか小田原の中心街に着かない。川を渡った右手に山王神社があった。 そのまま右の歩道を歩いていると偶然、小田原城址江戸口見付跡を見つけ、奥にある残存する石垣を 見ることができた。

■ 小田原宿中心 ■約1〜2km
市内には至る所に旧町名の案内が石柱に刻まれている。 脇には町名の由来が詳しく書いてあるのだが、周囲には面影がない。 青物町という商店街があった。 品川宿の青物横丁を思い出し、妙に親近感を覚えた。 ここ辺りから本町交差点付近が宿場の中心であったようだ。4軒の本陣が点在していたらしい。 親切そうなオジさんに本陣跡の場所を聞いたが、チンプンカンプンであった。 なるほど、案内板も碑もなく地元の人にも解らなくなってしまったほど変貌し ていた。目に付くのは右手にそびえるお城のような建物 の「ういろう」を売る店である。 それでも裏道を歩いて見ると僅かに街道のなごりが残っていた。

■ 小田原城 ■約1km
さっきから昼飯を食べようと好みの安食堂を探しているのだが足だけが小田原城に向いていた。 途中、右手に城の一部のような作りの新しい建物があった。本町小学校だ。 ここは藩主、大久保忠真が創設した藩校集成館の跡で、傍らには国指定史跡の箱根口門跡 の土塁も残っていた。小田原城の天守閣までたどり着き屋根付き休憩所で座って休むことができた。 小田原城 (城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀初めごろとされ、 1495年に戦国大名、北条早雲の居城となってから、関東支配の拠点として拡張され、 豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む大外郭を完成させると城の規模は最大に達し、 日本最大の中世城郭に発展した。現在の城は復元されたものだが城址公園は動物園、遊園地もあって市民の憩いの場となっている。)

■ 板橋のお地蔵様 ■約1〜2km
お腹が空いてきた。でもなかなか食堂が見つからない。八百屋のバナナでも食べようと思ったくらい。 しかし足は止まることを拒むように前に進んでる。さすが秘密兵器のシューズは快適だ。 靴下も濡らさずに突き進む! やがて市街を抜け、箱根登山鉄道のガードを潜る。 左には江戸時代小田原城初代の藩主、大久保忠世一族の菩提寺、大久寺があった。 その先、新幹線ガードを二又の右手の細い道へ行く。 旧街道らしい道をしばらく歩くと、板橋の地蔵尊があった。 ( 毎年1月と8月の23・24日に市が立ち参詣者で賑わう。 この地方では死者が出たとき、 家族・縁者が三年間続けて、この地蔵尊へ参詣する習俗があり、 この日にお参りすると故人に似た人に必ず会える言われている)

■ 風祭一里塚 ■約1〜2km
道は箱根登山鉄道を横切り、国道へ出る。早川の流れを左に見ながら歩き続ける。ハラ減った。 再び目の前の高速道路下の線路を横切って旧道へ入っていく。風情のある街道だ。 でも風祭駅で何か食べよう・・しかし駅はマッチ箱のように小さく周囲には何も無かった。 小田原からゆったりとした坂を登っているようだ。後半にきての登り道はキツイかも。 気を取り直し歩くと右手傍らで小田原の道祖神が励ましてくれていた。 その説明板には東海道風祭の一里塚と書いてある。ここは江戸から21番目の一里塚 があった場所らしい。

■ 入生田 ■約1〜2km
雨に濡れた古い家々が残る静かな街道を歩くと心が和みます。日本橋から歩いて、初めて 旅人の心をやさしく包んでくれる道に出会えたような気がします。 しばらく行くと右に広々とした紹太寺への参道があった。 ここは春日局を母とする稲葉氏(1632-1685年間の小田原城主)の菩提寺だが、 しだれ桜の方が有名で毎年4月は箱根登山鉄道の入生田駅は花見客で賑わうようだ。 やがて旧道は線路を横切り登山鉄道を右に見るようになる。 小田原から三枚橋まで交差しながらも殆ど旧道を歩いて行ける。国道片側は歩道が無く 危険で、蒲鉾屋さんとガソリンスタンドを見てるだけなので地図を持っていって正解だった

■ 三枚橋・箱根湯本 ■約1〜2km
と思ったら、国道に出てしまった。ここからは細い歩道があった。湯本中学を過ぎて 畑宿への交通看板が見えてきた。元気を出して歩道橋に登りデジカメする。箱根湯本はスグそこだ。 夏休みに挑戦する箱根越えの入口、三枚橋を確認。しかし目の前に立ちはだかるスゴイ山がある。 京都へ行くには、あの箱根の山を越えなければならない。 あそこへ吸い込まれて帰って来れないんじゃないかと思うくらいの迫力だ。 箱根湯本駅前は土産を買う観光客で混んでいた。 日帰り露天風呂700円の看板に目が眩んだが・・成長した旅人は家族のために温泉まんじゅうを買って いた。 ・・・午後15時30分:品川駅前「みやこ」でカツ丼を激しく食っている男がいた。 (全行程4時間00分・1999.7/3:万歩計=28417・電車移動含)

旅人:浮浪雲
9.大磯宿〜小田原宿へ 11.箱根旧道〜箱根宿へ