6.戸塚宿〜藤沢宿へ(街道地図)
横浜市戸塚区→富塚八幡→お軽勘平碑→原宿一里塚→鉄砲宿→遊行寺→藤沢宿(9km:3時間)

■ 戸塚宿について ■(1999年6月12日)晴
最近は歩くことが楽しい。 歩ける時に歩いておこう。人生なにが起こるかわからない。 それにしても散歩のつもりが、こんなに遠くまで来てしまった。 毎週歩く度に交通費が急上昇、サラ金の金利に追われているようだ。 そして暑い!気温は28度。 ・・・・・・戸塚宿は日本橋から5つ目の宿場町で 1604年(慶長9)に一般の宿場町よりもわずか遅れて伝馬宿に定められ、江戸―小田原間の中間にあたっていて栄えた。 「お江戸日本橋七つ立ち……」と歌われたように、当時の旅人は午前4時に日本橋を出発。 健康な旅人はこの宿場で、一泊する人が多く、東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんも1日目はここに投宿したという。 (右の写真は現在の吉田大橋

■ 戸塚宿・旧街道 ■約100m
戸塚駅前の大きな踏み切りを渡り進む。右手に「丁子屋」という蕎麦屋があった。 ここは江戸時代からの旅篭で裏に回ると今でも割烹旅館をやっている。 戸塚宿周辺は昔も今もイベントの宝庫だ。近くに田谷の洞窟・大船観音があり、現在では横浜ドリームランド(2002.2閉園)・葛の湯(スーパー銭湯) で有名だ。この観光地と周辺住民の足が神奈川交通のバスセンターである。戸塚駅からセンターまでの旭商店街(2010現在再開発により面影無し)は活気があった。 ひっそりと佇む旧家を見つけたが、いつまでもこの地に残ってほしい。 今日はカンカン照りで日差しが強い。暑さで倒れる前に先を急ごう。

■ 八坂神社・富塚八幡 ■約1km
しばらく行くと小さな神社、案内板に八坂神社の「お札まき」と書いてあった。 (女装した男性10人程が踊り終わると、うちわでお札(厄除けと五穀豊穣)を飛ばして町内をまわる) その先、道を進むと神社の境内に保育園?があった。小さなブランコ脇の急階段(写真右) を見上げて富塚八幡を確認!! ここが戸塚の地名の発祥「富塚八幡」(昔、ある武士が十人の盗賊を退治し、ここに十人を埋めた塚が あり十塚→戸塚となった説と、境内の前方後円墳は富属彦命の古墳でこの名をとって富塚→戸塚となった説がある)
道は登り坂となる(大坂)途中のセブンイレブンで「南アルプスの水」を購入、そして一服

■ 戸塚山中道行あたり ■約1km
右手に庚申塔や旧跡が点在する 大坂を登り切ると国道1号と合流する。 高台の上にはマンションのオンパレードだ、 その高級?マンション群の切れ間から今来た戸塚を望むと 確かに眺めが良い。人気があるのだろう。 が後ろは車の大渋滞の排気ガス。日本ならではである。 うーん、排ガスを浴びたためタバコを吸ってしまった。 街道歩きをしていると吸う本数が減っていることに気がついた。 なるべく国道を避けたい。(松並木は中央分離帯にあり役立たず) すぐに「お軽勘平道行」の碑があった( 人形浄瑠璃、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の有名な場面で、 戸塚山中のお軽勘平道行きの場がある )小さい時に芝居を見たような記憶があるが、昔の戸塚は山の中だった。いまでは東京へ堂々の通勤圏である

■ 国道・原宿一里塚・国道 ■約4km
さっきから同じような車が横にトロトロしている、まったく前に進まないのだ。 車より速い黄金の足に誇りを感じる(排気ガスのかもしれない) よくラジオの交通情報で「原宿の交差点から渋滞○○キロ」なんて言ってたけど ここの区間は身体によくない。 やがて左手に江戸から11番目の一里塚「原宿一里塚」跡(写真中)を見つけた(塚とは小さな山である) この国道4キロ区間はただ歩くのみ、国道を横切る頭上の小さなモノレール線を過ぎてもひたすら歩く、左に 心和む横道があった。別世界のようだ

■ 鉄砲宿の松並木 ■約500m
東保野から左国道30号を歩くことになるのだが、その手前からの道路標識の立体交差に少し迷わされてしまう 。人は、車と違い、とにかく左側を歩いていれば国道30号に出るようになっていた。 この国道30号は車道と歩道を分ける松並木(松は少なかった)が続き、歩き易い木陰がありホッとする。 ただ都会の住宅事情のように木々が入り組んで可哀相(写真左) 道路の反対側に松並木の案内板(昔の街道松並木の絵と解説)があった。(写真右) この辺りから気持ちのよい風が吹いてきて、いくらか涼しく旅人気分!

■ 遊行坂(道場坂)・諏訪神社 ■約1km
後は藤沢まで下りの道。周囲の緑とともに気分がいい、戸塚からここまで約2時間、いかに国道区間4キロを走るように 抜けてきたか解った。もしかして一人歩きの方が歩く距離を稼げるかもしれない。 しかし、この辺りから足の裏に異変を感じた(帰ってから調べたら、両足にマメが2粒、歩き出してから初めてのことだ。 急いだためか、下り坂のせいか、靴下が合わなかったのか?) 道の反対側に諏訪神社の石段が見えた( この神社は呑海が信濃でお札配りの道中に現れた諏訪明神を勧請したもので、以来藤沢山の守護神として、 元旦には遊行上人が神社に参拝し参詣者にお札を配っている)

■ 遊行寺 ■約100m
右に遊行寺(清浄光寺)の大看板(時宗の開祖は一遍上人(1239〜1289) 南無阿弥陀仏を唱え、躍念仏(おどりねんぶつ)をして民衆を教化した )入るとすぐに小栗判官と照手姫の墓への道を示した石碑があった。 境内にバカでかい大イチョウがあり藤沢市教育委員会の案内版には(雄株で高さ16m:幅6.83m:樹齢は300〜700年とあり、この辺りでは 鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の大イチョウと共に屈指のものと書いてある) 石段を降り赤塗りの遊行寺橋に出る

■ 藤沢本町駅へ ■約1km
旧街道を歩いて白旗の交差点に出た。この辺りが藤沢宿の中心らしい。旧跡が多いようだが 次回に残し小田急線「藤沢本町」駅を探す。人が吸い込まれる横道を行くと小さな駅があった 。改札口で若い女性にお金を無心しているホームレスが居たので助けてあげようと(女性の方) 近づいて行くと女性はホームレスおじさんに「私もお金がありませんから!」とピシャリと言い放った。 旅人はホームレスに同情を禁じ得なかった。
・・・午後4時30分:東海道線の車内では旅人が無性にカレーライスが食いたくなり品川駅に着いたら食べようと考えていた。
(全行程2時間30分・1999.6/12:万歩計=22535・電車移動含)

旅人:浮浪雲
5.保土ヶ谷〜戸塚宿 7.藤沢宿〜平塚宿