2.品川宿〜川崎宿へ(街道地図)
東京都品川区北品川一丁目→南品川→鈴ヶ森→大森→蒲田→六郷→川崎宿(11km:3時間)

■ 品川宿について ■街道の名残りがありました(1999年5月8日)晴
タイトルが一人旅になっているのに何故か今回も子供の喜多さんが道中に参加している。 懸賞金の威力はすごいのだ。
15年前にここ品川宿に居住してからというもの、正月には家族を引き連れ東海七福神巡りが恒例 になり、すっかり東海道が気に入ってしまい挙げ句の果てに東海道「品川宿」というHPまで作ったのです。 こんなに少ないスペースでは全部ご紹介できないので、HP 品川宿の入り口から「歩行新宿→北品川宿→南品川宿」と見所の写真だけはチェックしてください。

■ 北品川宿から南品川宿 ■約1〜2km 
商店街の入口に観光案内所があり「まち歩きマップ」で散策できる。(2009.1品川交流館に移動) 宿場内は歴史ある神社・仏閣が まだまだ残っています。(我が品川宿が東海道に誇る下駄の丸屋(写真)は喜多さんの友達、榎ちゃん家だ) ここから旧東海道は南品川・ 青物横丁・鮫洲・立会川・鈴ヶ森と4km続いて1時間以上旅人気分が味わえます。 ・・・歩いていたら近所の人に「どこいくの〜」と声をかけられ「ちょっと川崎まで」 と優越感(まさか歩いて行くとは思ってないんだろ〜な)・・・ 北品川宿の氏神が品川神社なら品川橋を渡った南品川宿は荏原神社で6月の祭りも別々に行われる。 喜多さんは両方に行かなければならないそうだ。(祭りの小遣いは2回分を要求)

■ 旧東海道・古い建物 ■約1〜2km
橋から10分も歩くと地面の色が変っている。 青物横丁周辺の旧街道は最近、石畳風舗装に変えたのだ (旧東海道周辺まちづくり協議会の堀江会長の地元なのだ) その力で北南品川宿も石畳に変えてください。 (2007年5月:その願いは叶えられた) ・・・・気がつくと喜多さんは天妙国寺前のファミコンショップ(現在閉店)に入っていた。 ・・懸賞金確保後の下調べと見た、日本の将来はどうなるのか!・・・・ 石畳風舗装が終わると鮫洲に入る。ここら辺からは 古い家 がいくらか残っている。京浜急行「鮫洲駅」は鮫洲試験場、「立会川駅」は大井競馬場の客で賑わう。

■ 鈴ヶ森刑場 ■約1〜2km
途中、創業130年の吉田家(そば屋)を見ながら (高級鯉が泳ぐ会席料理の離れ座敷有り) 立会川に入る。 道は立会川を渡るが、ここに架る橋が浜川橋、 江戸時代には、この先の鈴ヶ森刑場に送られる罪人と家族がここで涙を流して別れた というので涙橋とも呼んだ。 5−6分歩くと旧東海道が国道15号と交わる角地の三角地帯にある鈴ヶ森刑場に着いた。 ここには当時の火焙り用柱の台石と磔柱の台石が残されている。 丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七たちが処刑 された。ここからは交通量の激しい国道15号沿いに歩くのみである。 途中しながわ水族館を見かけたが喜多八は黙々と歩く。 (目的のある男は強いのだ)

■ 旧東海道・美原通り ■約2km
右手に京浜急行「大森海岸駅」ここらへんは海岸の名残らしい江戸前天ぷらの店 がビルの合間に残っていた。 老舗の心意気が美味そうだ。平和島の手前から道は旧東海道に入る。 この美原通りの旧東海道の石柱は嬉しい。所々に古い名跡があり街道の昔を忍ばせる。 この通りを歩いていて気がついたのだが一休みするのに丁度よい石が道の両側にあった。 喜多さんは疲れたようです。

■ 大森村から梅屋敷 ■約2km
旧道を抜けると立体交差の国道に出る。ここから先は一直線だ。 しばらく行くと梅屋敷公園がある。 (この辺りは昔の梅の名所で大金持ちの薬屋さんの屋敷の庭と言われている) 先を急いでいると喜多さんが「何だ〜あれぇ〜」と元気な声を出している。一級国道を電車が横切っているのだ(正月の箱根駅伝で有名な踏切です) ここ京急蒲田駅から羽田飛行場まで行く羽田空港線だ。(踏切は2012年高架により無くなった)

■ 蒲田から六郷の渡し ■約2km
しばらく歩くと左手に六郷神社(境内には六郷橋の標柱)が見えてきた。・・・・あと少しの安心感から喜多さんが「回転すし店」を見つけ指さした。 昼食はすでに食べているし予算の都合もあり一人5皿までと制限!。気がついたら喜多さんは1皿500−800円の大トロ・中トロ のみを食べていた。賢い子供であった (値段制限にしておけば1皿100円の玉子・タコ類から行っていたはずである) ・・・道の先には多摩川の橋(六郷橋)が見えてきた。 この立派な六郷橋から30m下流に六郷の渡し跡があった。 江戸の初期には橋が架っていたのだが、よく流されるので1691年 以降は橋を取止め、渡しにしたという。

■ 旧東海道・川崎宿 ■約1〜2km
橋を渡ってスグ右手に旧道がある。川崎市はこの宿場をよく整備しているようで嬉しい石柱の旧東海道があった。 万年横町の交差点を横切り先へ進むと田中本陣跡から駐車場超しに一行寺が見えしばらく行くとやっと京急川崎駅についた。 (万年横丁=万年屋(まんねんや)は明和年間(1764-72)、13丈均一の一膳飯屋でしたが、庶民の旅の普及、川崎大師参詣者の増大とともに宿内一の茶屋に発展し宿泊も賄うようになりました。) ・・・・喜多さんへの賞金贈呈式会場は品川新馬場の天神湯と決定し、午後3時30分、湯船の中で喜多八は満足そうに泳いでいた。 (全行程3時間30分・1999.5/8)

旅人:浮浪雲
1.日本橋〜品川宿 3.川崎宿〜神奈川宿