15.小金井宿〜石橋宿へ(街道地図)
栃木県下都賀郡国分寺町・小金井一里塚→本陣跡→国道→縄手道→夕顔の橋(6km:2時間)

■ 小金井宿について ■(2002年5月4日 am8:00〜)曇
昨日、泊った「国際第?ホテル」は価格の割に設備、サービスともに低かった。(全てが狭く、冷蔵庫・ドライヤー・領収書無で不満足!) ・・ホテルとは関係ないが、昨日の夜、オバちゃん食堂で食べた「ソース焼きそば」は安くて美味かった。 ・・・ 写真は小金井駅と駅前にあるSLの車輪(東北本線の車両基地)・・・ この地は奈良時代に「国分寺」が建立され、以来、下野地方を統治する地として天平文化の史跡を残している。 江戸から14番目の宿「小金井宿」は天保14(1843)年の記録によると宿内の長さが「南北6町42間」(約730m)、家の数は165軒だった。 ・・・

■ 小金井一里塚 ■約500m(8:10)
駅前から国道4号線に出て間もなく「小金井一里塚」に出会う (江戸から数えて22番目の一里塚で、日光道中の一里塚で唯一、国の史跡に指定されている。9m四方に築かれた2つの塚の間を通っているのが江戸時代の日光街道で当時の道幅のまま) ・・・参考:昨日歩いた旧道からは、一里塚の巨木が見えるが、畑に遮られ、真直ぐに行くことが出来ない。・・・

■ 慈眼寺・金井神社 ■約1km(8:25)
大通りを渡ってまもなく慈眼寺がある。 (鎌倉時代の豪族、新田氏が祈願所として建立、江戸時代は将軍の日光社参時に小休所や昼休所が設けられた。「日光道中分間延絵図」に「御社参之節御昼休所」と記されている) ちょっとビックリするが入口にはお腹の出た門番見張っているので気をつけてください。 すぐ先には注連縄鳥居が神々しい金井神社が鎮座する。

■ 古い家並み(小金井宿中心)本陣跡・蓮行寺 ■約4〜500m(8:35)
街道に残る家並みを写していたら、オジさんが話し掛けてきた。 街道歩きの質問責めにあったが、古い家並みを称えると、この家の歴史を教えてくれた。 昔は呉服屋で、やがて質屋と変り、最近になって子供達は皆東京に出て行ったため、 今ではおばあちゃんが煙草屋をやっていると言う・・おばあちゃん有難う!2002.5旅人は憧れの家並みを見ています・・ 信号手前に本陣跡(大越家)右奥に蓮行寺がある。

■ 国道4号〜左の旧街道 ■約1km(8:55)
宿場を離れ、右に新幹線路を見ながら長々国道を歩くと 遠くにパチンコ屋の広告塔が見える。ガイドブックにはこの手前に入る道が旧道と あったが、畑の中を彷徨することになってしまった。 苦い経験から 現在のルート地図を作成したので参考にしてください。 この辺りはJR宇都宮線の自冶医大駅が近く、国道4号線には松並木が整備されているらしい。パチンコ屋の先から旧道の日光街道に入る。

■ 旧道の縄手道 ■約1〜2km(9:25)
街道は静かな住宅街から、車が殆ど通らない長閑な畑道になった、 途中、野良仕事に見惚れ、遠い昔から延々と続いている平和な光景に時を暫し忘れた。 一度大通りを越えるが、風柔らかく鳥が空を翔る、里山歩きのような快適な一本道は2km近く続いた。 やがて道は行き止まり、右手に「レストラン倉井」を確認して国道に出た。 目覚まし時計で起こされたように、相変わらず国道は忙しそうだ。

■ 国道4号・丸大食品観音像 ■約1km(9:45)
石橋町に入ると資材置き場が多い。信号の先「丸大食品」の工場入口に大きな観音像が立っている。 由来は不明だが、周囲を圧倒する存在感があった。右に合掌造りの和風レストランを意識しながら緩やかに進むと、 左には歩道に沿ってお墓が続く。観音様や合掌造り、お墓と点在し、何だかよく判んないけど、ここら辺は無造作に日本的。 やがて国道352号線の立体交差が見えてくる。

■ 夕顔の橋石仏 ■約500m(9:55)
その交差点手前には、酷道4号に背を向けた10体の石仏が大切にされている。 横の道に星宮神社の入口石標がある。 信号を渡ると左に古い家並みが残っていた。この交差地点は夕顔の橋と呼ばれている。(栃木の特産品「かんぴょう」の植物名を夕顔という) 道は石橋宿へと続く。 ・・10:00:・・風まかせの旅人は、昨日、欲張って歩いたため足がモツレていた。 (行程2時間・2002.5/4(土):万歩計=6716)

旅人:浮浪雲
14.新田宿〜小金井宿 16.石橋宿〜雀宮宿