13.小山宿〜新田宿へ(街道地図)
栃木県小山市・脇本陣→興法寺→醤油漬発祥地→観音堂→喜沢の追分→高架下道(5km:2時間)

■ 小山宿について ■(2002年5月3日 pm13:30〜)晴
小山評定の碑小山駅前 泊るには早い時間だったが小山駅前でビジネスホテルを確保した。 安堵感から急にお腹が空いてきた。さっそく駅前通りでカレーを食べる。 ・・・・右の写真は小山市役所内にある小山評定の碑= 豊臣秀吉の死後1600年(慶長5)7月24日、会津征伐へ向かった家康は小山に到着し本陣をおいた。 その時、石田三成が家康打倒の兵を挙げたことを知り、翌日、軍議を開いて、会津行きを中止し、 軍議に参集した福島正則らの協力を取り付け、石田三成征伐のため大坂に向かうことを決めた。 この地、小山は徳川氏の運命を決める歴史上重要な場所であった・・・

■ 持宝寺・須賀神社 ■約500m(13:40)
市街地のレンガ煙突持宝寺須賀神社への参道 天神町に入ると、右に小山パレスホテル(後で述べるが、ここにすれば良かった・・グジュグジュ)が見える。 味気ない市街地にレンガ煙突が現れホッとする。宮本町2丁目辺りの交差点を曲がって持宝寺を見学。 街道に戻って100m程行くと左に須賀神社への参道がある。 (祀神は素戔鳴命(スサノオノミコト)藤原秀郷が素戔鳴命に戦勝祈願して、将門の首級を取ることが出来た。)

■ 小山宿脇本陣〜興法寺 ■約1km(14:20)
興法寺の参道小山宿を過ぎた辺りの日光街道明治天皇行在所跡 「明治天皇行在所跡」と書かれた石碑の奥にある小山宿脇本陣を見た後、 小山駅へ寄り道した。冒頭の宿確保と食事を済ませ街道に復帰した。 北へ進むと左手に新緑に囲まれた真新しい参道が見える。 その奥に興法寺がある。(天台宗、本尊は阿弥陀如来、門を入った左手の地蔵尊には戊辰戦争の弾痕跡がある) 反対側には「愛宕神社」があり日光街道を確信する。

■ 醤油漬発祥の地〜小山ゆうえんち道 ■約1km(14:40)
創業嘉永年間の海産物問屋JR両毛線の踏み切り「小山ゆうえんち」を案内する看板 しばらく歩いた花垣町あたりで「醤油漬発祥の地」 と書かれた創業嘉永年間の海産物問屋があった。 その先、JR両毛線の踏み切りを渡り、しばらく歩くと「小平産業」と「小山ゆうえんち」を案内する看板がみえる。 ここから500m程でタレント桜金造が鼻の穴に指を突っ込み宣伝するあの有名な♪おやまゆぅ〜えんちぃ〜♪があるのだ。(2005廃園) ・・・道は真面目に続いている。

■ 観音堂〜日枝神社の大ケヤキ ■約1km(14:55)
日枝神社参道の大ケヤキ日光街道観音堂への小道 小平産業を通り過ぎ、大きな交差点を渡ってすぐに観音堂へ至る小道がある。 (観音堂境内の地蔵菩薩台座には街道の文字を使わず右奥州海道、左日光海道と書かれている) 街道をしばらく行くと日枝神社へ案内する森の参道があった。 その中に樹齢400年以上、高さ30mを超えた3本の大きなケヤキが現存している。 この先に変則五叉路の喜沢交差点が見える。

■ 喜沢の追分〜細い道(日光街道) ■・・詳細地図・・約5〜600m(15:05)
交差点にある喜沢の追分日光街道は右の細い道やっと旧道に入った 分れ道に石碑群が置かれている地点が喜沢の追分で、ここから日光街道は右に続く細い道となる。 ・・あんまり国道を歩き続けたので、昔を偲ばせるこの街道も俄に日光街道とは信じられず疑心暗鬼で歩いていた。 しかし、静かに続く道は心地よく、やがて嬉しさがこみ上げてきた。 人が歩く道はこれでなくっちゃ〜いけねぇよ〜。本物の日光街道に遭遇し心はやっと元気になった。

■ 喜沢一里塚〜新幹線高架下道 ■約1km(15:25)
橋本接骨院の看板がある地点で高架下道と分かれる新幹線の高架下道一里塚は林に入る手前にあったらしい 「ホテル夕月」の手前左の鬱蒼とした林が「喜沢一里塚」のようだが案内板は無い。 やがて道は住宅の中を抜け新幹線の高架下道と合流する。 しばらく歩き道の下を走る県道33号を過ぎ、橋本接骨院の看板がある二又道を左に入っていくと新田宿へ至る。 ・・15:30:・・細道で犬に吠えられる度にリュックを降ろす気弱な旅人の姿があった。 (行程2時間・2002.5/03(金):万歩計=31544)

旅人:浮浪雲
12.間々田宿〜小山宿 14.新田宿〜小金井宿