![]() | 5.粕壁宿〜杉戸宿へ(街道地図) |
| 埼玉県春日部市・東陽寺→永嶋商店→最勝院→小渕一里塚→観音院→国道歩き(6km:2時間) |
■ 粕壁宿について ■(2002年3月21日 am10:30〜)晴→曇(黄砂風)![]()
子供の入学祝いにソニーのバイオ&旅行ご招待を約束した。
その約束の旅行が今回の道中である。
本人は片っ方だけで良かったようだがセットになっている所がミソなのだ。
いやがる子供を無理やり確保、
という訳で喜多さんとの二人旅である。
(粕壁宿周辺は前回の写真)
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粕壁宿は東北地方と江戸を結ぶ日光道中の宿場町として賑わい、
また、大規模な新田開発や、古利根川の堤防の整備も行われたことなどから、
江戸と各地の物資輸送が大変便利になり、水運の拠点として栄えました。
桐たんす、桐小箱、押絵羽子板、麦ワラ帽子などの伝統産業があります。
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■ 東陽寺・永嶋商店 ■約1km(10:45)![]() ![]()
東陽寺は「おくの細道」の芭蕉が泊まったとされる寺だ。ここからロビンソン百貨店前の春日部メイン通りを
過ぎると「田村家前の道標」が右手に見える。ここまでが前回辿った日光街道である。
今日は信号を渡った先にある永嶋商店(お米屋)から出発する。
・・・喜多さんは快調だ。(地図を片手にいきなり先頭に立ち、先輩旅人を道案内!)
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■ 古い土蔵・最勝院・成就院 ■約500m(10:55)![]() ![]()
・・しかし後ろから見るとリュックにゲーム器やMDカセット・カード本などを詰め、かなり重そう・・
道が狭くなり、懐かしい丸ポストを有する古い土蔵(山田商店)を右に見て歩く。突き当たりに最勝院
(鎌倉時代の領主、春日部重行を埋葬した塚がある)
、左となりに立派な成就院、その先、踏み切りを渡って春日部八幡神社に行こうとしたが迷って後戻り。先ほどの「古い土蔵」道を行く(2014年現在「土蔵」は消滅し高層ビルに改築)
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■ 新町橋〜小渕一里塚・日光道標 ■約7−800m(11:10)![]() ![]()
工事中の新町橋を渡り、二又の左道を行く。しばらく歩くと右道入口に「小渕一里塚」碑。
ここで飲料補給、なにしろ喜多さんを歩かせるためにはボトル補充は欠かせない。
(どうやら1日の歩行距離15k以内は正解だった。)
すぐ先の「関宿往還追分・日光道標」が左日光道と教えてくれる。
街道は国道4号と合流した。
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■ 国道4号〜観音院〜国道4号 ■約1〜2km(11:35)![]() ![]()
そのまま日光街道は16号線を横断する。
途中、小渕観音院(別名こぶとり観音と呼ばれ信仰されている。境内には「ものいえば唇寒し秋の風」の芭蕉句碑がある)
を過ぎた辺りで、空が暗くなり埃っぽい風が吹いてきた。(後で知ったのだが中国の黄砂が日本に上陸したらしい)
土埃の中を黙々と歩くが喜多さんはクシャミを連発!花粉症らしい。
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■ 国道4号〜北緯36度線〜旧道へ ■約1km(12:00)![]() ![]()
やがて歩道が少し広くなった所に地球儀の記念モニュメントがあった。
この地点は北緯36度線上にあるらしく駐車場を完備して「すきすきすぎーと36」と名付け杉戸町が管理している。
・・・国道にイベントは無く、足跡を追跡したり、40万円で買える家を覗きながら進むとガソリンスタンドの先に旧道
がやっと見えてきた。
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■ 旧道〜国道・堤根〜杉戸宿へ ■約1〜2km(12:25)![]() ![]()
九品寺境内に1784年製の日光街道の道しるべがあった。
やはり街道には日本家屋がよく似合う・・
なんて暢気な事を言ってなれない位、風が強くなっている。
旧道は短く再び国道と合流し杉戸宿に入る。
・・12:30:・・砂嵐は激しく腹も減って窮地に陥った弥次喜多コンビはアフガン難民状態となっていた・・・
(行程2時間・2002.3/21(木):万歩計=7526)
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4.越谷宿〜粕壁宿へ
6.杉戸宿〜幸手宿へ
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