4.越谷宿〜粕壁宿へ(街道地図)
埼玉県・塗師屋→越谷御殿跡→鴨場→草加バイパス→備後一里塚→国道歩き(11km:4時間)

■ 越谷宿について ■(2002年2月9日 am9:10〜)晴
今回から泊りがけで歩こうと計画していたが、現実は厳しく、周囲に春日部から通っている人が居た。 まだまだ通勤圏なのだ。そんな場所で泊まるのは サラリーマンとしてのプライドが許さない。・・・・ 気合を入れて朝早く起き、北品川駅から日帰り電車に乗った。 ・・・ 越谷は古くから元荒川、古利根川等の川や多くの用水に囲まれた湿地帯で、 農産品よりも、工芸品のだるま、ひな人形、桐たんす作りで発展した街である ・・・

■ 越谷宿の面影・塗師屋 ■約500m(9:20)
越谷駅前からまっすぐ旧国道(県道49号)に向い、その1本手前の道を左折すると旧日光街道だ。 ここから大沢橋に至る街道は 昔の面影が点在し、中でも「塗師屋(写真中)」(昔、漆を扱っていた店で屋号を塗師屋という) は心強く残っていた。宿場の家並みは旅人のために日光街道を案内してくれているようだった。路地の奥にも感謝する。

■ 元荒川・越谷御殿跡・建長元年板碑 ■約1km(9:45)
街道から離れ、大沢橋を右折して、元荒川沿いに越谷御殿跡(二代将軍・徳川秀忠がこの場所に御殿を建てた) 建長元年の板碑(建長元年(1249)銘の年号が刻まれ市内で発見された最古の物・高さ155、幅56の板碑は塔婆の一種で板石塔婆とも言われている) を見学する。川の向うに久伊豆神社の社が見えたのだが、この先、道も狭くなり寄り道はこのぐらいにして引き返すことにした。

■ 大沢橋〜北越谷・東武線高架下 ■約1km(10:05)
大沢橋に戻って街道を歩く。さっきから気になっていた遠くに見える高いビルは、近づくと北越谷駅前の新築マンションだった。 駅前通りを横断すると前方に東武伊勢崎線の高架が見える。 そのまま潜れる雰囲気だったが、道は右カーブしてしばらく高架と並歩することになる。 この先、道が狭くなる場所でやっと潜ることができた。

■ 宮内庁埼玉鴨場・東武線踏切 ■約1〜2km(10:25)
高架を潜ると目の前の景色は元荒川の堤で大きく開く。しかし街道は交通量が一段と激しくなった。 歩道も途切れ、車に気をつけながらしばらく歩くと左手に 木立ちに囲まれた異様な門がある。表札には宮内庁埼玉鴨場と書いてあった。 (江戸時代からの鴨場で、敷地内には大きな鴨池があり、今でも皇族、国賓の鴨猟が行われている) ここから5〜600m程で上間久里の踏み切りを渡る。

■ 草加バイパス〜旧道〜国道4号へ ■約2km(11:05)
歩道のない車道を歩いていると路傍の片隅に街道の石碑仏が追い遣られていた。 草加バイパス下の信号を横断し、そのまま真っ直ぐ進み 再びイベントのない危険道を歩いて「大袋」「下間久里」という地名を後にする。 やがて流れるように国道4号と合流し、道なりに進む。やっと歩道を歩けるが今度は音がウルサイ。 4〜500mで千間堀に架かる戸井橋を渡る。春日部市に入った。

■ 国道歩き・称名寺〜備後 ■約2km(11:35)
国道は只ひたすら何も無く、風だけが強く吹いている。 武里駅入口交差点近くで歓喜天の大きな松(画面に入らないので根元だけ撮りました)懐かしい家を見た。 備後南、東と歩き右手に称名寺。 その後も国道は黙々と続き、旅人は風に晒され寒さが身に凍みた。 軟弱人間の防御本能が「そろそろ飯の時間だ。」「トイレにも行きたい」と呟いている。

■ 国道歩き・備後の一里塚・藤塚橋(賃とり橋)■約1〜2km(12:00)
右手歩道に忽然と「備後の一里塚碑」が現れる。 手前のお稲荷さんに気をとられて危うく見逃す処だった。 すぐ先の交差点を右折すると古利根川に架かる「藤塚橋」がある(別名「賃とり橋」昭和29年まで渡るのに有料) 国道4号の標識や、中古車見学にも飽きた頃、そば処二葉という店でたぬきうどんセット(カレーライス付\750)を食べる事ができた。

■ 国道4号線〜東武野田線ガード・粕壁宿へ ■約2km(12:50)
腹が膨れると何時もの事ながら心に余裕が生れ、 味気ない国道も日光街道に思えてくる。しばらく歩くと 前方に東武野田線のガードが見えてきた。 4−500m先の一宮交差点から粕壁宿へ入る旧道を眺め、 本日、前半の交通量の激しい旧道から後半の単調な国道歩き旅を終わる。 ・・13:09:・・悪運強い旅人は間一髪、春日部駅からスペーシアに飛び乗った。 (行程4時間・2002.2/9(土):万歩計=15122)

旅人:浮浪雲
3.草加宿〜越谷宿 5.粕壁宿〜杉戸宿