はじめに

中原街道は、江戸虎ノ門から洗足、小杉、佐江戸、瀬谷、用田を経て 終点、相模平塚の中原で東海道に繋がる60k程の脇街道である。
家康は初めて江戸に入った頃、平塚からほぼ最短直線で江戸に向かうこの道を利用していた。 沿道に自身の鷹狩りや、参勤交代の大名たちの休息所として小杉御殿、中原御殿を設けたが、 その後、東海道を整備(本陣など)したことに伴い、通行量が激減し(大名の利用が減少)「御殿」も廃止した。 ・・・中原街道はやがて幹線街道としての役割を終え、 沿道の農産物を江戸へ最速で供給する(大名行列を避けられる)物資輸送の 道となった。

別名:相模を通るので・相州街道、平塚から酢を運んだ為・お酢街道、 東海道と矢倉沢往還の間の為・江戸間道、・・江戸近郊では、小杉御殿に向かう為・小杉道、 江戸の糞尿を運んだ為・こやし街道と呼ばれていた・
旅人:はぐれ雲