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[229] フリーマーケット(大井競馬場)

■品川区勝島2-1-2
■立会川駅徒歩10分/モノレール大井競馬場駅徒歩3分
【開催日】毎週、日曜日 9時〜15時
【出店数】600店
【平均来場者数】2万人 
【駐車場】500円/1日 【入場料】なし
■いわずと知れた超人気会場。一度は行ってみたい会場です。ここにくれば何でもそろうフリマの代表格。車出店も可能で、立体駐車場だから暑い日も平気。(東京リサイクル運動市民の会HPより)
■問合せ:03-3384-6666 ホームページ


[228] 星薬科大学薬用植物園

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■品川区荏原2−4−41
■03-3786-1011
■戸越銀座駅下車5分
■開園:平日の9:00〜16:30無料
■大学構内に約650種もの有用植物が栽培されている薬草園は学生以外の一般の方々も見学することが出来ます。園内は大まかに樹木園、標本園、水性植物園、野草園、温室などに区分され、漢方薬や民間薬、あるいは医薬品原料となる重要な薬用植物が栽培されています。

[227] 清泉女子大学(旧島津公爵邸)

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■品川区東五反田3-16-21
■03-3447-5551
■五反田駅下車10分
■この地は、寛保3年(1743年)仙台伊達藩の下屋敷(敷地面積22,670坪)として開発され、明治6年(1873年)に島津家の所有に移るまで約130年使われた。島津家では、この地が「袖ヶ崎」と呼ばれていたところから、「袖ヶ崎することを邸」として、桜田にあった旧島津藩上屋敷とは別に、公式行事の開催場所に使用し、大正12年(1923年)の関東大震災後に本邸とした。 袖ヶ崎邸は、当初伊達藩の木造家屋をそのまま使用していたが、老朽化が進んだため、英国風の洋館を改築することを計画し、日本政府の招きにより来日し工学大学校建築学科の教授であった英国人J.コンドルに、明治39年(1906年)に設計を委属し、その後数度の設計変更を経て、大正4年(1915年)に建物の竣工をみ、その後館内の設備や調度が整えられ、大正6年(1917年)に落成披露が行われた。(清泉女子大学HPより)

[226] 伊藤博文の墓

伊藤博文(俊輔)1841年-1909年

■品川区西大井6-10-18
■西大井駅下車5分
■長州藩に生まれ、高杉晋作らと倒幕運動に参加し、明治維新を成し遂げた。幕末期にイギリスに密航し、海外の見識を深めている。維新後は、初代内閣総理大臣として活躍、満州視察の際に韓国の民族主義運動家安重根に暗殺された。大井に居館があったことから、国葬ののちここに葬られた。区指定史跡

[225] 桐ヶ谷斎場

桐ヶ谷火葬場:東京博善株式会社

■東京都品川区西五反田5-32-20
■不動前駅から徒歩7分
■03−3491−0213
■内容 建物:地上2階、地下1階  火葬炉:12基  休憩室:12室    式場:5室 控室:5室 駐車場:94台  コーヒーコーナ     ー:2ヵ所  売店:3ヵ所

[220] 杉野学園(衣装博物館)

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■東京都品川区上大崎4−6−19
■JR目黒駅から徒歩6分
■03−3491−8151
■開館10:00〜16:00
■内容 昭和32年に開館、学園の創設者・故杉野夫妻が収集した古今東西の時代衣装や関連資料、洋装の歴史


[219] レモンの碑(ゼームス坂病院跡地)

品川区南品川6-7
■京浜急行 青物横丁駅下車10分
■ゼームス坂の途中にあった「ゼームス坂病院」は、詩集『智恵子抄』で有名な高村光太郎の妻、智恵子の終焉(しゅうえん)の地である。
 高村光太郎は、彫刻家高村光雲の長男として東京で生まれ、彫刻家・詩人として活躍した。その妻智恵子は、福島県二本松の裕福な造り酒屋に生まれ、日本女子大学を卒業後、絵画を学ぶうち光太郎と知り合い、大正3年(1914)に結婚した。 智恵子は、そのころには珍しく社会的自立を目指す女性で、絵画の創作を単なる趣味ではなく、経済的自立の手段と考えていた。しかし、結婚後は、思うように絵が描けず、また、父の死や実家の没落も打撃となって、智恵子は次第に精神を病むようになる。光太郎は仕事を減らして看病に専念したが、病状は、すすむ一方で、昭和10年(1935)にはゼームス坂病院に入院した。 この病院で智恵子は、今まで抑(おさ)えられていた創作意欲をはきだすかのように切り絵に没頭し、一千点もの作品を残す。しかし、遂(つい)に退院できぬまま、3年後に生涯を終えた。 ゼームス坂病院は、戦後まもなく取り壊されてしまったが、その跡地の一角に、記念碑「レモン哀歌の碑」が建てられている。
1938年智恵子が死ぬ数時間前にレモンを口に含んだときの様子が光太郎の詩「レモン哀歌」に見事に描かれている。この日10月5日は「レモンの日」と名づけられている。
■詩集「智恵子抄」より=レモン哀歌=
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で 
私の手からとつた一つのレモンを 
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ 
トパアズいろの香気が立つ 
その数滴の天のものなるレモンの汁は 
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

[218] 六郷神社

■大田区東六郷3-10-18
■03-3731-2889
■京浜急行 六郷土手・雑色駅下車10分
■社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と 伝えられます

[195] 徳持神社

大田区池上3-38-17
■03-3751-2612
■東急池上線「池上駅」3分
■御創建は建長年間と伝え、豊前の宇佐八幡宮より御分霊を勧請奉斎、御旗山八幡宮とも称され、荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として尊崇せられ、元徳持の南地区に鎮座、明治39年池上競馬場(目黒記念の発祥の地)設置の為、現在地に移転、明治41年5月再建、同年9月15日徳持上宿に鎮座の稲荷神社を合祀竣工遷座を執行、社名八幡神社を徳持神社と改称する。
★写真提供:『逍遙』レヲ氏

[192] 新生湯

品川区旗の台4−5−18
■03-3781-3476
■営業時間 15:00〜23:40
■定休日 第2、4金曜
■東急大井町線 荏原町駅 徒歩 4分
■☆☆☆商店街の横道を入った小奇麗な風呂屋、カウンター式だが脱衣所は広い。中庭ありサウナ有料。

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